いよいよ始まった

 昼食時は履修相談。1人の大学院生が専修免許の具体を尋ねに来る。「実際待遇上(たとえば、給料的な待遇、「身分」的な待遇など)については、特段、利点がある現実ではない。ただ、将来的には整備される可能性もある。」と回答。一年ぶりに会った彼は大学院に進んでいたのだな。
 卒業生のI君が勤務が休みなので、と教職課程を訪れていた。高校非常勤。彼が専門とするのは世界史であるけれども、現場では現代社会を教えている(させられている)。自主教材は認められず、教科書に従うことも命じられている、とか。教育現場の厳しさを語っていた。
 4限、道徳教育の研究。非常勤講師で「道徳教育の研究」を1コマお願いしているS先生と、講義の内容・方法について協議。学習指導要領は共通教材とするが、あとは各自の自由で、と申しあわせた。ついでに、今年度のぼくの教育方針ー学生を教材化する授業ーについて語った。さて、実際はどうなるであろうか?
 出席者115名。扇型の大教室に散らばって座っている学生に、両端列の学生たちに一つ中程列への移動を依頼。協力が為された。ただ後方にへばりついている連中は動かない。しかたがない、か。マイクは不使用。声は届くと確認した。体力を使うが、これがぼくの語り方なのだ。
 「隣の人は教材である」をメインテーマにして、グループ活動方式ではないコミュニケーションのあり方を探ると伝える。意識内には「講義通信」の発行があるが、今回はイメージのみ。出席票に記された感想の掲載にあたって、氏名等個人情報掲載可はゼロ。全くの匿名を望むばかりか本文の掲載さえ不可も少なくない。ここまで自分隠しをするのか、「隣の人」にはなりたくない、という意思表示である。とはいえ、訳の分からないぼくの授業方式に戸惑うのが本当のところ。時を待とう。
 印象深い「声」いくつか。
「一言。「障害があっても良い。」というお言葉に救われましたことだけ書かせて下さい。ありがとうございました。」(3年)
「今回、初めて教職課程で先生の授業を受けさせていただきました。一つ前の3限も授業だったのですが、教室全体はすごくうるさく、自分自身も隣の友達とずっとおしゃべりをして過ごしてしまいました。しかし、この道徳教育の研究で、先生が入ってこられて、『道徳とは教師の教養としても求められるもの、授業中、携帯電話をいじっている人、2年生になってそれでいいのか!』とお話しされた瞬間、教室全体がシーンと静まりかえり、空気が変わったのが分かりました。」(2年)
 それよりも何よりも、「先生とケンカしたら確実に負けます。」(2年)という男子学生の声に、爆笑。