教育方法・技術第1講

 今日の授業は「教育方法・技術」だけ。来週からは、こんなのんびりはしていられない。
 教職関係は、何ごとも技術万能主義に陥っており、教育哲学がどんどん薄れた存在にされてきている。「教育方法・技術」はまさにその典型だ。しかし、「教育方法がなんたるか」を知らずして、技術「伝達」に道を拓いてしまうことの愚だけは、避けたい。
 参加者60名。技術としてあるものの「なぜ」を語ることに心がけた。「授業開始の挨拶」「講義」「教授」など。やはりぼくの語り、授業形式は、異形らしい。ぼくは、他の授業を見たことがないので、らしい、と書くしかない。「川口節」と名付けて親しんでいる学生もいるようだが・・・。以下、羅列。
「大きくてメリハリのある声は、私にない点なので、うらやましいと感じました。」
「私も声が大きくて恐がられることが多いので、川口先生と一緒だな、と、思いました。」
「文字も図も書いていないし、教室も講義形式ではないにもかかわらず、とても引き込まれる授業でした。」
「一年振りに川口先生の授業を受けて、ああ、やっぱり川口先生だ!と思いました。懐かしい感じがしました。」
「1年ぶりに川口先生のお話を聞いて、改めて身が引き締まる思いでした。」
「初めて会うタイプの先生でした。」
「一年ぶりに川口節を聞き、大変わくわくいたしました。怒ったこと・・・・先生の目を見てお話を伺いたいのですが(だまされないように・・・笑)、先生が教室の真ん中にいらっしゃるので、首がつりそうになりました。
「今回初めて川口先生の授業を受けてみて、川口先生は他の学習院の教員の方々とは少し変わっている印象を受けました。」
「川口先生の道徳も取っているので、何となく心して今日のぞみました。やっぱり、他の先生とは違った川口節が自分にあった気がします。」
「正直に申して、今回の授業、面白く聞き入りました。先生の授業に出るに際しては、だいぶん緊張しますが、他の前後の授業に比べホネがあって面白く聞いています。」
「90分があっという間に過ぎて、これで今日は終わりです、とおっしゃった時には、驚きました。」
「教育方法・技術という題とシラバスの内容を見て、どんな感じの授業をやるかを事前に予想していたが、やはり川口教授は、大変良い意味で、私の期待を裏切ってくれた。この生身の人間を見るという視点は、教師にとっては大切な観点であるし、この場でどういう風にやるのかを示してくれた点は良かった。」
 この直前の学生の声を見て、昨日、前任の副手さんからいただいたメールを思い出した。「先生は学生の様子を見て、クラスごとに授業のやり方をお変えになりますが、今年はどんな学生が履修しているのでしょうか。」 そうですね―、今は手探りですね。
 最後に今日のメイン。「出席票に書く言語は何も日本語でなくても構わない。ちなみに、ぼくが読むだけでしたら可能なのは、英語、フランス語、ドイツ語です。」と言ったら、ちゃんと反応がある。すごいね―。英米文学科の学生ではないが、「英語の教師になりたいので・・・」と、英文コメント提出した。
 I'm very glad to hear talking by Mr. Kawaguchi.
 Next week, I'm looking forward to discuss with my neiberhood and receive this educational class. Thank you very much!!
 ちょいミススペル等はあるが、こうしたチェレンジは嬉しいな。