ありがたい手紙

 和歌山時代の若き友人K氏から分厚い封筒が届いた。拙著を読んだ感想が綴られていた。一章、二章はよく分からなかったという正直な語り、続いて三章が、ご自身が現在関わっている特別支援教育との絡みで、セガンの現代的意義が綴られていた。
 このお手紙を拝読し、やはりセガンの白痴教育の構造研究まで歩みを進めなければならないのか、と感じた。しかしその前の段階のぼくの研究を総括しておく必要がある。出版記念講演会を企画していただいていることもあり、その講演の草稿を綴り始めた。こんなところ・・・。研究的な文章なので全て敬称は省略する。

 清水寛は、「郷里クラムシーの町があるフランス南部(ママ)のブルゴーニュ地方の、少なくともセガン家のような中流・上流階級の市民の間では、『エミール』に示された教育思潮が家庭や幼稚園での教育に一定の影響を及ぼしていた」(清水寛「ルソー『エミール』の自然主義教育の思想とセガンの生理学的教育」、清水寛編著『セガン 知的障害教育・福祉の源流―研究と大学教育の実践』全4巻(大空社、2004年)の内、第1巻所収論文)と言う。また、我が国のセガン研究の先駆者の一人松矢勝宏は「セガンは父ジャックのリベラルな養育方針によって幸福な幼・少年期を送った。」(松矢勝宏「『セガン教育論』について」、大井清吉・松矢勝宏訳『イタール・セガン教育論』世界教育学選集100、明治図書、1983年)との評価がなされた。『エミール』に倣ってされる子育ては幸福な期を過ごさせる、というのか。否、それだけではない、人生をある程度方向付けるものでもあるらしい。やはり同じく我が国のセガン研究の先駆者の一人である津曲裕次は、「(セガンは)時代の児として、生活の中で実物と経験を通して教育されたのだった。長ずるに従って、科学に目覚め、社会に関心を持つに至った根源が、この時代の彼の教育にあったようにも思われる。」(津曲裕次「『白痴の使徒エドワード・セガンの生涯」奈良教育大学紀要、1986年)と言う。
 我が国を代表する知的障害教育史家三人のこれらの記述は、セガンが25歳の時から生涯取り組んだ白痴教育思想の根源を、セガンが晩年に回想する一文によって、幼少期の父親による教育の姿に求めているとみなすことができる。
 上記に例示されるようなセガン研究者の発言の真贋―史実に適っているかどうか―が私のセガン研究の出発であり、プロセスであり、帰結である。今春出版した『知的障害教育の開拓者セガン 孤立から社会化への探究』(新日本出版社)は、このような問題意識で綴ったものである。書名にもかかわらず、私の意識と筆致には、セガンの生育史に刻み込まれた先行研究者の幻影を追い払い、19世紀前半にこの世に生を得、育ち、独り立ちしていくその実相を描こうとする働きがある。要は、戸籍名オネジム=エドゥアール・セガン(Onezime-Edouard Seguin)を題材にした『私の中の囚人 一教育学者の自立への旅』(1982年、高文研)の再版のようなものである。その意味で私の生活綴方研究の一環でもある。