久し振りにセガン研究話

 研究室を明け渡すための大整理をしなければならないが、今日は腰が重い。セガン研究話でも綴ろう。
 「E. O. セガンと言います。お父さんはJ. O. セガン。息子はE. C. セガン。すべて医学博士です。」電話口から聞こえてくる先生のお声はとてもハリとツヤがあり、お元気であることに安心した。2003年5月のことである。まさかその時にはぼくがセガンを研究対象と定めるとも思っていなかったし、もちろん、先生から語られる三人の名前が不確かであることなど疑いもしなかった。もう一つ、父系がやたら医学的権威を誇るものであるのに対し、母系については口の端にも上ってこなかった。
 さて、フランス語文献を読み始め、セガンの1846年著書も再刊本を入手するようになって、ハタ、と考えさせられることが生じた。それは、どの文献にも、エドゥアール・オネジム・セガンというフルネームを見ることができないということだ。「オネジムはミドルネームだし、省略するのは慣例なのかな。」と思いつつ、改めて彼の氏名表記の確認を、我が国に限定して先行研究書等で行った。驚かされたのは、Edouard Onesimus SEGANという人名表記だった。精神薄弱問題史研究会編『人物でつづる障害者教育史』日本文化科学社、1988年に所収されている清水寛署名の「セガン」の項目にそれが見られる。その出典は何なのかを清水先生に訊ねたが、松矢勝宏セガン研究に依っているというご返事だった。確かに、ご示唆をいただいて、改めて精読すると、松矢氏のセガンの大著(1846年著書)翻訳解説文の中にも、Edouard Onesimus SEGANの表記が見られる。ごく当たり前のことだが、その表記の根拠となることは綴られていない。それ以上ぼくは調査することは止め、戸籍名の確認を公文書を頼りとして試みた。その結果は、オネジム=エドゥアール・セガンと表記すべきところだと判明した。
 ・・・・このように、ぼくが障害児教育(史)の研究者でないからであろうか、人物を綴るのなら、その人物を公的に証明することが必要である、と強いこだわりを持った。それがセガン研究にとって何の意味があるのか?という問いを出されるが、その時の「セガン」が象徴していることはイディオおよびイディオ教育であろう。ぼくは人物史を通して社会史を捉えたいと思う。極端に言えば、セガンが知的障害教育の先駆者でなくても構わない。19世紀に生きた1人の人間を通して19世紀とは何かと描きたいのだ。このあたり、セガンに関する先行研究者とは、深い溝があるのだろう。
 では、なぜセガンは、自分の名前表記から「オネジム」を欠落させたのか・・・。それはフランス社会の慣例なのか、それともセガンに固有のことなのか。固有のことだとしたら父親と共同する「オネジム」に何程の意味があるのだろうか。
 変なこだわりですか?