「盲腸の戯言」

 書類整理をしていたら未製本の原稿が出てきた。タイトルは『盲腸の戯言』。TEXで版下に仕上げていた時代の作品。レイアウトがじつに美しい。イヤ、それもそうなのだが、伸びやかな文体だ。15年程前の作品。文体にも年齢が出るのかな。その内の一篇をば・・・。
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「仇敵・筑波の牙城に入る!
 ったって、雇われマスターになったわけでもなく、客として丁重にあつかわれるわけでもなく、単に「総合講義・教師」の講師として授業を担当するためにいくことになったわけです。今年で二年目。
 で、ぼくの担当するのは「大正期の教師像」「昭和前期の教師像」「戦後の教師像」の三コマ。今週は「大正期の教師像」でした。
 JR荒川沖駅から筑波までは遠い。というわけで、ティーチング・アシスタントなる大学院生が車で送り迎えをしてくださいます。ありがたいことです。
 講義を終えて、帰りの車の中での会話。彼女、そう女性なんです、講義も聴いていましたし、ぼくに代わって(ぼくは頼んでいないのに)出席も取ってくださいました。講義のことを少し話し合った後、
 「先生、大正期がご専門なんですか?}
 「え、まあ、そういうことでしょうか。」
 「何かお書きになったものございます?」
 「え、そんなもの、アハハハハ」
 「私、大正自由教育を修士論文で扱ったのですが・・・」
 と、話は続くのですが、このあたりからぼくはプッツンしておりましたので、あまり話の内容を覚えていません。とにかく彼女、千葉師範付属の自由教育を素材にして学級王国論を書いたのだそうですねえ。
(当時を思い出してプッツン症状が再興してきたので、以下省略。)」