気は急くが・・・

 木曜日「現代学」で講義をしなければならない。今年度のタイトルは「愛/性/」 ぼくの担当テーマは思春期と性にするつもりで資料を準備していたが、思うように構想を練ることができない苦しみが続いていた。それで、「セガン」研究過程の中で課題として強く意識していた「知的障害者と性」をタイトルとすることを最終的に決定した。いよいよ明後日。まだまだ他人様に語れる程の思想として仕上がっていない。こまったものだ。
 セガンの記録化された実践に登場するのは男子青少年ばかりである。性別収容が厳しくなされているのだから、男性だけしか実践の対象としなかったというのは、理解できる論理ではある。しかし、彼は、男子施設と女子施設それぞれの「白痴の教師」として任命されたのだ。だから、男子しか実践をしなかったという事実には、なぜ、という問いがつきまとう。彼の性認識がそうさせたのかもしれない、というような仮説も持たざるを得ない。ではどんな性認識なのか?分からない。だいたいから「性」は「分からない」ものなのではないか、とも思う、セガンに限らず。
 そんなこんなやが、頭の中をめぐっている。
 10月31日のことばと教育の会でのレポートを「川口幸宏の仕事場」にアップした。タイトル「孤立から社会化への探究―研究と実践」