虐待と養育 

 神奈川県内の養護学校教頭を務めておられるK先生からメールをいただいた。ぼくのセガン研究に関する好意的なご感想であり、とても励まされる思いがした。
 氏のメールの結びに、次のような一文が綴られていた。
「最近、里親をしている人の話を聞く機会がありました。その話の中で、虐待を受けていた特別支援学校高等部の子どもを養育したところ、成績が上がって特別支援学校をやめて高等学校を受験して合格した、とのことを聞きました。云々」
 ぼくはこのことに関し、次のような感想をしたため、返事に代えさせていただいた。
「虐待児童のお話、非常に興味深く、拝読しました。子どもの発達の可能性ということばで語られる時、広く「人格発達」を意識しますが、このお話は、「学力発達」へとより具体化されたものとして理解できます。虐待がいかに子どもの存在自体を劣化させているかということを教えられる実例であることとともに、私には興味深いものがありました。ご承知のように、私は、いわゆる「虐待」という概念で語られる育ち環境ではありませんでしたが、戦中・戦後という社会総体が子どもの育ちにとっては「虐待」と言っても過言ではない環境の中で養育され、発達にゆがみと遅れがあったゆえ、なおさら、今回のお話しは嬉しいものでした。そして、世界中の多くの、直接間接の虐待を受けている子どもたちの、一刻も早くの解放を願う次第です。」
 それとともに、セガン研究の課題意識の広がりを覚えたが、このことについてはいずれもっと詳しく文字化する必要があると、今、思っている。
 ◎コメント欄を復活させる方法を習得。