「過去」に胡座をかき続ける

 Tさんという方が、日本モンテッソーリ協会『モンテッソーリ教育』第43号所収のYT先生の論文をお送り下さった。同論文は昨年の日本モンテッソーリ協会大会のご講演に基づいている。「セガン」の名が冠せられているから強い興味と関心を持って読んだ。しかし、なにも学んでおられない。1980年前後に構築された「セガン像」そのままでしかない。
 偉い人は偉いほどに「過去」に胡座をかく。やっぱりなー。そんなことが改めて分かっただけでも論文を拝読した甲斐があったと言えよう。その「胡座」の根拠はなにも示されていないから、批判のしようもない。注はたくさん付いているけれど、内容のない注だ。
 「現在の研究水準におけるセガンの生涯と業績について述べる。」とし、「特に、これまで、不明であった生地や幼少期から大学までのセガンの前半生が明らかになったことは…大きな貢献であった。」とあるが、本文に記述されている「セガンの前半生」は、まったくと言っていいほどでたらめ。ぼく自身は公文書を根拠にしてセガンの前半生のあれこれを述べている−煩雑すぎる、詳しすぎる、と批判をいただいたほどだ−。公文書類は公共の公文書館に保存されている、それぞれが唯一つの物証である。それとは違う「現在の研究水準におけるセガンの生涯と業績」とは果たしてどのようなものか。何を以てしてすれば、公文書内容を否定する史実記述が出来るのか。ご教示いただくしかない。
 「生地 オーセール」!! → オー!ノー! 「出生証明書」
 「母 敬虔なキリスト教徒」 → 全くの新説。どこからこれを引いてきたのか。まあ、19世紀前半期のヨーロッパならキリスト教徒であることが普通ではあるとは思うけれど。
 「大学 大学名は明らかではない。医学校(医学部とも)で内科と外科を学ぶ」! →オー!ノー! 「在籍証明書」
 「文芸活動をしていたとも伝わっている」! → 物証あり!
 その他諸々 そして相変わらず、「サルペトリエール院」でセガンは白痴教育を行ったとする。公共施設でセガンが白痴教育をしたその対象はすべて男子。あまつさえ、セガンは「男女の施設の教育に携わることの招聘を得たが力が無くて女子は扱わなかった」と書いている。「サルペトリエール院」は、人ぞ知る女子専用施設。女子専用施設に男子青少年が収容されていた?!疑ってかかったぼくがアホなんだなぁ。そう言えば、ぼくのこうした初期的な疑問に対して、やはりセガン研究の大御所であるHS先生は「白痴の子どもなんだから(女子施設に収容されていたって不思議じゃない)」と、おっしゃったっけねー。不思議な障害教育研究者だわ。
 ちゃんとその辺り、公文書、そして当時のパリ地図を揃えて、「サルペトリエール院」でセガンは教育活動をしていない、ことを述べたし、ぼく以外にもその旨をきちんと触れておられるしっかりした障害研究者RF先生もおられる。YT先生が参考文献として挙げている中にぼくの著書もRF先生の論文も含まれている。要は、タイトル(あるいは本の帯=宣伝文句)だけ見て「最近の研究」と言っているだけで、ご本人の頭の中は昔のままで新しい情報は上書きされていない、という正体がバレバレだわ。
 以上書いたことは、YT先生に、さらに詳細にして、お便りする。研究は研究として対面するのが常識だから。