「オレは先駆者だ。無礼者め。」

 こんな激しい言葉を使うのは鶴のみで、「社会性」が豊かな方は、静かな語りでガツンとやる論法を用いる。もちろん、世情はこの方を支持する。
 「あんた(鶴のこと)の論文は読んどらんで。オレはむーかし昔の到達を書いただけや。せやさかい、あんたのことを否定してもおらんがな。というより、あんたはん、(心の中で威厳正しく)私がこの世界を切り開いた先駆者だとさえお知りになっておられないようだが、ちゃんと仁義を切ってからもの言いなさい。(隠し言葉で)無礼者め。」
 とまあ、こんなありがたくも畏くも、偉大な御方から、やんわり厳しく厳かに、ご叱責のお便りをいただいた。
 門前払いを食らったわけですな。だけど、その御方、むかーし昔の到達を書きます、なんて一言も発表論文には書いておられない。前段で研究の進展動向を喜ぶと言い、その研究物を注記で紹介している。読みもしないで動向を≪喜ぶ≫ほど、神がかりなお方だ。少なくとも、ぼくは公的には文字化していないけれどー拙著には先行研究批判を載せることができなかったという意味―、先行研究の中に、その御方の幾点かのご論文を含めている。公開していいんだったらやりまっせ。
 お便りには、1970年に某書を「**の国会図書館≪ママ≫からマイクロで取り寄せた」と先駆性を述べておられる。それならば、ぼくが某書の記述に基づいてご批判申し上げたことについては、「門前払い」することはあり得ないだろう。その記述部分をどのように解釈し、何故、むかし昔の到達になったのか、論理的にご説明いただくのがスジ、ちゃうか?ちなみに、「取り寄せたマイクロは広まりに広まって…」と、我が国で読まれるようになったのは私のおかげです、と言わんばかりだが、残念ながらと敢えて申し上げると、ぼくのところには時すでに枯れており、「回って」来なかった。ぼくは、研究の先駆者のお一人S先生からは原著の何ものもーコピーでもーいただくことはなかった。「日本に広めたのはワイやで」と申されるのだろうけれど、功罪を含めてそれはその通りだが、そのおこぼれは「回り回って」いただいた…ことになるのだろうか、なあ。ま、どうでもええやん。
 「おまえ如き者にご返信賜れたことを深く感謝いたせ。」
 この「世界」には神のお告げを下される御仁がおられることは経験済み。 
「へ〜い。」・・・あな、おとろしや。