「特別授業を受けています。」

 6時起床。頭が働かず、学習は棚上げ。ぼけーと時を過ごし、7時過ぎ自宅を出て研究室へ。メールの処理と授業準備。今日の「教育基礎」は、「セガン」と「寺子屋」。
 「寺子」の意味を尋ねるが、全員答えず。しかし、「寺子」の字は、昨日のクラスと違い、全員が書ける。意味は知る必要がなかったわけだな。
 「教育基礎資料集」を用いて寺子屋の前期、後期のそれぞれの図版でグループ学習。後期は個別学習が少なくなり統制的な学習風景へ、手習い」(書くこと)からいわば「口習い」(読むこと)へと、学習方法の変化をつかませる。だんだんと近代教育に近づいてくる。来週の福沢等への橋渡しともなる。
 さて、徳島で入手した寺子屋図版の写真複製(博物館蔵)。

 グループ間を周り、談義の様子を捉える。<どういう風な声が出た?>「机の向きが皆違います。」「ケンカしています。」「それと、子どもだけじゃなく、大人もいます。」<大人はどういう存在?>「子どもに交じって教育を受けています。」「小さな子どもに特別教育をしています。」<大の大人が二人がかりで、小さな子ども一人に?>「英才教育だから」<・・・・・>
 どうしても、自分の「世界」とダブらせてものを考えないと落ち着かないのだろう。心配しなさんな、来週、フクザワユキチさんが、君のアイデンティティを提示してくれるからな。