自主ゼミ

 4限「道徳教育の研究」はグループ活動が佳境に入る。しかし、指導者(=学生)の内面と教えたいこととが結びつかないグループが幾つかあり、ゲストスピーカーを誰にするかを決めたから後のグループ活動の方向が見えない、との申し出があった。黙って活動を停止するという消極的態度が無くなったこと自体、とても嬉しい。助言は、「あなたがあなたの口で語りたいこと、それはいったい何なのか、いわばゲストはあなたに代わって語る、ということを考えてみましょう。」である。来週が最終活動。それぞれのグループがどんな「美山」を作り上げるか、楽しみになってきた。ずっと気になっていた学生二人、ようやく、グループ討議に参加姿勢を見せた。これも嬉しいこと。
 6時から10時まで自主ゼミ。間に夕食会を挟んで。自主ゼミ草創期のメンバーが忙しくなってきたためこのところ顔を見せることが少ない。しかしよくできたもの、新しいメンバーの参加を見る。今日は計9名の参加で「偏差値と受験」をテーマにフリーディスカッション。「偏差値は目の前の受験をクリアする装置である」というぼくの認識を大きく覆す発言が出され、むしろそれが若い人の合意であることを知った。高い偏差値は「いい就職に結びつく」というのだ。要は、学歴社会の持つ学閥主義論の補完装置として「偏差値」が喧伝されている、ということなのだ。高い偏差値=評判のいい大学=「いい企業」への就職、という等号を成り立たしめるために、「学閥」が持ち出される。今のこの時代、つまり「大学は出たけれど」であればあるほど、旧態然たる「神話」にすがりつきたくなるのだろうな、「選ばれる宿命にある人たち」は。いや、参加し発言した学生は皆、塾の講師をアルバイトとして務めている。塾の成立基盤がまさにこの等号にあるということだ。そして親はその等号に我が子を預からせようと、高い財貨を支払っている。
 学生たちはこうした偏差値神話に同意しつつ違和感を覚えているというのが正直なところだろう。議論は果てしなく続く、ただし、仲良く。
 今日で前期の自主ゼミのフォーマルな会合は終わり。もちろん、ぼくの部屋で語り合うことに終わりはない。