セガンの「教育への権利」主張

 2005年の今日の日付は、日本セガン研究会が発足した年月日である。この日ぼくは、こんなエッセイを綴っている。まだ本格的に「セガン研究」を開始していない時期の問題関心が、今、妙に新鮮に思われる。史実の誤認もあるが、敢えて再録したい。
セガンの1866年著書『白痴とその生理学的療育』を精細に読み始めている。
 白痴教育が進展してきているのは、先人たちの歩みがあり、「すべての人が教育への権利を持つということが認められた」(The right of all to education was acknowledged)ことにある、とする。この教育権が実際には実現していないのは生理学的教育方法が未開発であったからだとし、セガン自身は、その生理学的方法でもって「白痴者たちは教育され、療育され、改善され、治療されうるのだろうか?こうした問いを持つことがそのことを解決することであった。」(Can idiots be educated, treated, improved, cured? To put the question was to solve it.)という。つまり、セガンは教育権を白痴者に実質的に実現するために、生理学的方法の開発・発展に精力を注いだわけである。
 セガンが白痴教育を生理学的に開拓した場であるフランス社会に、当時、「教育への権利」が社会的合意に達していたかについては、疑問を持たざるを得ない。セガンが属した秘密協会は「義務教育の権利」を謳い(1830年代後半)、ヴィクトル・ユゴーは「子どもの教育権」を高らかに主張している(1850年)。ただそれらはあくまでもきわめて先進的な主張であり、社会的実態としては多くの子どもは抑圧的教育を受けるか教育のらち外に置かれていた。抑圧的教育の事実については、セガン自身、中等教育事例を挙げて、厳しく批判していた(1846年著書)。
 しかしながら、病弱児施療院の「学校」で教育不能とみなされた子どもに対する教育による全体的発達の成果を端緒とし、ピガール街の私立学校での3人の子どもに対する成果、続いて男子救済院の10人の子どもに対する教育、さらには男子養老院の「学校」での20数人の白痴教育の実績など、生理学的方法による全体的発達の事実から得た彼の教育哲学は、まさしく「特殊な子どもの事例から、特定の子どもへ、そして多くの子どもへ、(さらには、すべての子どもへ)」という彼自身の事実に裏づけられたところから出発するものであり、「すべての人の教育への権利」は、社会的合意であるべきである、というものであったのだろう。また、彼は次のように言う。「ある特定の時期に、時の流れが望んでいたものが非常に多くの地域でいっせいにその変化が起こされる。いつも、その変化を発見したのが特定の個人であるということが議論されるが、明らかにそれは、人間を通して顕示された神の御心のままなのであると思う。」 つまり、「すべての人の教育への権利」は、たんに彼自身の経験値に裏づけられるのではなく、彼の事実を含めた社会的必然なのだと。
 こうしてみると、セガンを改めて近代教育史の本流に位置づけ直すことができるのである。「すべての人の教育への権利の実践的主張者である」と。さらに、それが「教育を受ける権利(the right to receive education)」でないことに先見性を見ることができるのではないか。このような問題関心を持って、今後セガン研究をすすめたいと願っている。」(日本セガン研究会会報『セガン研究報(仮称)』第1 号 2005年7月12日発行、所収、拙稿「(随想)「これからのセガン」−セガン研究考」より抜粋)