「おねえさん」に負けないで「記憶の引き出し」を開けた

 セガン研究の足跡を写真集で示そうと勢い立ち、2003年以降フランスに出かけて撮った写真を可能な限り収集した。現在は年度別にしているが、地域別などの振り分けがもうすぐ必要になる。今日は、もし冊子にするとしたら、と考え、「まえがき」のようなものを構想した。「セガン」の業績云々よりも、むしろ、知名度、認知度に触れた方がよいだろうと考えた。彼のフランス時代を対象とするのだから、フランスではどうなのだ?「あまり知られていない」というのでは芸がなさ過ぎる。
 「フランスの辞書で書かれているセガンの項目を訳出して下さい。」(大先生からぼくへの至急依頼)
 2003年5月24日早朝、大先生至急依頼内容に沿うぼくの依頼を受けて「パリ秘書君」(当時のK君ニックネーム)から、フランスでもっとも権威ある辞書Grand Larousse universel(我が国風に言えば、ラルッス大百科事典)第13巻9456頁に掲載されているSEGUINの項を抜き書きし、メールで送ってくれた。障害教育史や精神医療史についてまったく無知であったので、大先生のご依頼―というより、ご下命―に応えるような訳文にはなりはしない、という悶絶で、とにかく訳出し、当日、大先生にファックスでお送りした。慰労のお言葉をいただいた記憶はあるが、それ以上ではなかったな。
 さて、今となると、「パリ秘書君」の次の言葉は、非常に大きな意味を持っていたのだ、と思わされる。「セガンのミドルネームがラルッスではOnesimusとなっていますが、Onesimeではなかったでしょうか?」このラテン語風のスペルは、例えば、かのヤン・アモス・コメンスキーが「コメニウス」で通称されているのと同じようなものなのだろう、とその時に思っただけで、「パリ秘書君」に反応を返すことも、大先生に質問することもしなかった。そして、1843年当時の公文書(退職者名簿)の中にOnesimusのミドルネームが使われていることを、文教大学・星野常夫氏の論稿「フランス19世紀後半の知的障害児教育の展開」、大井先生退官記念論文集刊行委員会編『障害児教育学の探求』田研出版、1995年、80ページ)で知ることになる。
 星野論文と出会った頃(2003年末)には、セガンの戸籍原簿(出生証明書、クラムシー蔵)をこの手にし、筆記体の解読を進めていた関係上、セガンの戸籍名を「オネジム=エドゥアール・セガン」と確定していたが、何故、フランスで、しかも公文書でOnesimusの名が使用されたのか、今以て不明である。そして、それ以外の事例を、寡聞にして知らない。、