研究室ドアが賑わいだした

 昨日の「第1回新生自主ゼミ」は1年生、2年生、大学院生、いずれもお嬢さんが集まり、賑やかに今後の方向を協議。「堅苦しい学習会ではなく、場合によっては人生を語る場にしたい。」という2年生のお嬢さんの提案の元に、「友人関係でさえ人生を語らない現状、あるいはきわめて閉鎖的な人間関係でとどまってしまっている現状に、自分たちはそうではないコミュニティとしての語りの場をつくりたい」と話が進み(オー、このあたり、19世紀フランスのさまざまな市民運動と根が同じジャン!と、少しばかり感動した馬鹿鶴であった)、名前をどうするかと、話は進む。「自主ゼミはいやっ!」。どうやらその伏線は、ぼくをコアとする既存の自主ゼミに対する風評が起因しているようだ。「エー、川口なんかとゼミ?授業でもないのに。おかしいんじゃないの、あなた。」という風に。例年、変わることのない「風評」だなぁ。ウシシ。当の本人はうれしがったけれど、お嬢さんたちはやはり、風評内容を気にはしないけれど、風評が立つ、ということは気にする。ということで、「自主ゼミ」の言葉の持つ意味イメージから離脱したような「コミュニティーとしての語りの場」にふさわしい名称をと、あれこれと考えあった。
 院生お嬢:「サロンってカッコイイじゃん、どう?」 馬鹿鶴:「まるでエステだな。」 2年生お嬢:「人生のエステなんだよな。」 馬鹿鶴:「うーん。そういう手で来たか。」 1年お嬢、絶えずニコニコ。
 院生お嬢:「人生って、フランス語でなんて言うの?」 馬鹿鶴:「ラ・ヴィ」 お嬢揃って:「カッコイイ!」 馬鹿鶴:「人生はかっこよくないぞ。」 2年お嬢:「そうじゃなくって、言葉がカッコイイ。フランス語の音がカッコイイ。」 馬鹿鶴:「たんにオレの発音が悪ぃだけだけどなぁ。」
 2年お嬢:「人生サロン」 (馬鹿鶴内言:「暴対法対象に引っかかりそうな名前だな。」) 院生お嬢:「人生のサロンって、フランス語では?先生。」 馬鹿鶴:「単語だけだと何とかセーフだけど、単語組み合わせとなると、ドロップアウトなんだけど、オレ。うーん。サロン・ド・ラ・ヴィ」 お嬢一同:「カッコイイーー」 院生お嬢:「ほら、フランス文字、飾り文字で、サロン・ド・ラ・ヴィと書いて、研究室のドアに張って下さい。」
 というわけで、朝は、授業準備はそっちのけで、「人生劇場」違った、サロン・ド・ラ・ヴィの看板ちゃう標識、ちゃう「表札づくり」をしたのでした。やっぱ、やばいよな―、先生方の目が気になる。あっちは学生の風評から逃れられてホッとしているようだけど、こっちはこれからだ、「とうとう暴対法が適応されそうですねぇ、鬼の川口。」と。
 もう一つ、別の院生の要望を受けて『エミール』の読書会を立案。何人かにメールで案内。
 ・・・オレっち、専門という受け皿のない組織の勤務者故、上に書いた「院生」や「○年」というのは、「人文科学研究科日本語教育専攻」の院生、「理学部数学科」の学生、「法学部法学科」の学生です。「別の院生」は専攻を聞いていなかった。「ジェンダー修士論文で扱う」ような専攻は何ざんしょ、「政治」かな?ちなみ、「教育学」という専修・専攻はございません。 
夜は池袋のMにて酒池肉林、ちゃいまんでっ! ゆったりとおいしい魚と酒を味わいましたが、飲み過ぎでないのに、突然意識がもうろう。「顔真っ青!」「座敷で寝てなさい!」 とほほ。一日の終わりは、楽しく、そして悲しい結末でした。