ファイナル・ゼミ

 出校し、『セガン研究報』セガン生誕200年記念号の編集作業。経費がどれほどかかるか分からないこともあり、「希望」だけで進めることにブレーキをかけることにした。要は、必要最小限の図版(カラー)を組み込むことに留めることにした。
 北海道のF先生から既発表の原稿を使うことの許可を戴く。そのお便りの中の二文に釘付けになり、身震いを覚えるほどのありがたさを感じさせられた。
「近代史を書き換えるほどの画期的な先生の著書」
「先生の論考により、多くの教師たちが勇気づけられたと思います。時間をかけて浸透していくことでしょう。何をどう学び、どう立ち向かっていくのか。子どもと向き合い、現実と向き合う仕事を専門職とするほどに、先生の御著書にたどり着き、勇気づけられることと思います。現にその役割を果たしております。」
 方や西の方では全く逆の評価、存在そのものの意義さえ問われている。
 過分のお褒めを戴くほどに謙虚に、厳しく批判されるほどに身を引き締める。こうした生き方をまさに実践的に進めていく必要があると、痛感させられた今日であった。
 第4限時に昨年の夏から始めていた自主ゼミのファイナル・ゼミを研究室で。思いもかけない者も駆けつけてくれ、運営の中心にあたってくれていたSさんへの謝意を示すことが出来たと思う。自主ゼミ内部で、ぼくらの世代で言う「分派活動」が進んでいたこともあって、ゼミ本体を解散することに決めた。今後は、授業研究ゼミ、理論ゼミ、人生論ゼミの形と性格を持って、それぞれがそれぞれに関わり合っていく。ちなみに明日は、6時から、『エミール』読書会。明後日は4時半から授業研究ゼミ。