出発進行―馬鹿になれないアホ鶴の午後

 昨日自主ゼミを閉じたかと思えば、今日は新しい自主ゼミを開始。「『エミール』を読む」ゼミ。お嬢が4人。英米文化学科以外は政治学科(院生一人)。今後の進め方について協議。隔週火曜日、当面は年内は続ける。第4編青年期を読み合わせる。誰かがレポート持参ではなく、その場で、数頁を各自黙読しながら書き込み、線引きをする、それを発表する、多少の論議…の繰り返しをする。背伸びしないゼミ。
 終了後2人のお嬢と夕食会。なんだかんだと心の内につっかえるものを抱いているようだ。やはり親との葛藤。ぼくは「親も苦しんでいる。苦しみ合わない親子なんていないと思う。そのそれぞれのもがきは大切。」などと、アホ鶴ぶりを発揮。「ごちゃごちゃを持って行くところがなかったら研究室を使えばいいよ。」そう、何人もが、ぼくの研究室でごちゃごちゃを整理して、大学を出て行ったのさ。「上下関係」を声に大にして言うようになった学生の人間関係集団では、「ごちゃごちゃ」は一人隠れて処理しなければならないという現実が厳しい。
自主ゼミの前の1時間ほど、化学の院生のS君が来室。相変わらず土産持参。ありがとう。彼は私学の教師になるのではなく公立校の教師になることを最終決意したと報告してくれた。しっかり応援します。彼はぼくのセガン研究の応援者。セガン研究本を「まるで自然科学の本を読んでいるようだ」と肯定的に率直に評価してくれていた。それで今日、『セガン研究報』生誕200号記念の話をし、書評を書き下ろしてくれないかと依頼した。論理的に説明するということはどういうことか、彼の自然科学者としての姿勢が前面に出ることを期待しているとの言葉を添えて。「光栄です」を引き受けてくれた。11月末が楽しみである。