両国遊歩

jittyan2011-11-27

 午後、貴婦人と姫様にご同道願って、両国界隈を遊歩した。
 横丁に入るとちと早いが、師走の餅つき。町会での催しだろうか、商店街の催しだろうか。小さな子どもが杵を担いで…ペッタンペッタンペッタンナー….なかなかそうはまいりませんね。姫様は「手返し危ないからさせてもらえないけれど、杵を振り上げますよ。」とのお言葉。馬鹿鶴も紅顔の美少年と言われていた頃、あかぎれがぱっくりと口を開けている指を駆使して、杵で餅つきを致しましたな―。痛く甘酸っぱい思い出であります。
 先週いただいた巴潟のちゃんこの味が忘れがたく、貴婦人と姫様にも是非召し上がっていただきたいと、ご案内いたしました。店の前に幟が賑わっております。
 今日の座敷は道の左側の2階隅となりました。給仕はジャニタレ、いや、韓国pop風の美少年。貴婦人と姫様は至極冷静な態度を取っておられましたが、馬鹿鶴は胸キュン―だって、いつも相手している若者たちにこの色気はないですもの。「学生さん?」「大学2年生です。」照れ笑いか、それとも、何だってみんなこんな質問すんだよーと侮蔑の心を胸に秘めて、にやっ、なのか。それにしてもかわいい。
 馬鹿鶴の誕生日を祝ってくださったことへの返礼は食事、そぞろ歩き、デザートというフルコース。まずはちゃんこコースがすみました。



 続くは観光コース。銀杏の大木が見事な回向院でございます。ここにはお犬様、お猫様、お鳥様、その他諸々ペット様のお墓、納骨所があります。生前付けられたお名前はそれはもう、どうしてこんなのが思いつくの?というのもありました。猫の「おかあさん」.犬の「ダンプ」、こんなのが馬鹿鶴のお気に入り。鼠小僧次郎吉のお墓もあります。墓石を削ってその粉や小片を身につけていると「お金が貯まる」とか。うーん。泥棒の上前をはねるとは、さすがに現の者どものやることは、恐ろしいなぁ。熱心に削っているマダムの後ろ姿に冷気、いや霊気を感じた次第であります。
 ここ回向院は小塚原で処刑された罪人の魂を弔うために建造されたとか。もちろん今ではそういう来歴と直接つながる墓所ではありませんが、だからでしょうか、歴史を語る印は何も残されておらず、少数の古い墓石―天保年間のが目に付いた―でさえ、来歴を感じさせるものはありません。吉田松陰が葬られているとの情報に接してから、ここを訪問する度に、彼の墓を探すのですが、今日も見いだし得ませんでした。その代わり、ぼくの名前とほとんど同一の墓を見つけました。案外と嬉しい感情がわくのですね―。
 回向院の後は、そろそろ師走、師走と言えばぼくにとっては赤穂浪士の討ち入り。最近は映画もテレビも取り上げませんが、文学の世界では、赤穂浪士側面史、裏面史にスポットが当てられて賑わっております。その赤穂浪士を義士団と呼ぶか押し込み殺人団と呼ぶか、評価が明確に分かれるところが、ここ、本所深川の吉良上野介邸。
 領民に慕われていたという吉良上野介。ただの癇癪持ちの赤穂の若殿。下克上ならぬ世をさらに秩序平等で固めるべしと願ったきわめて保守的な大石内蔵助ご一統様。こんな構図を胸に抱いて、観光コースを終えた次第であります。



 コースの締めは、当然、デザート。煎餅入りソフトクリーム乗せ餡蜜をいただきました。
 お礼行事でありますから、当然、「お土産」付であります、そのほかに、あん入りあられも、それぞれのバッグに一袋ずつ入っているはずであります。馬鹿鶴は明日、研究室で、おやつにいただく予定です。


 至極満足の半日。明日からまた、身体と精神とをフルに回転させる日々が続く。「お礼」と言いながら、ぼく自身が、エネルギーをいただいたというところが本当なのだな。ありがとうございました。
後記:小塚原は南千住あたりよ、回向院も南千住にあるわよ、そっちの回向院は犬猫のための回向院でしょ。細君より訂正がなされました。吉田松陰に会いたければ南千住ね、お父さん、とは上娘の言。はいはい。ご教授ありがとうございました、ですです。