寒い朝に伊勢うどん




 今日の一日は伊勢うどんから始まった。一昨日、娘が、「お父さん、お父さんが好きな伊勢うどんが手に入ったからね。」と、渡してくれた品だ。タマネギ半玉をスライスし、水にさらしておく。伊勢うどんを熱湯で温め、タレをかけ、スライスタマネギと生卵、それに削り節をかける。一丁出来上がり。豊かな気分で一人朝食。家族は早くから仕事に出かけ、ネコたちは眠りこけている。さあ、今週の授業のシメ。なつかしく、というより、もう死語だろうが、ゲマインシャフトゲゼルシャフトという用語を投入し、子どもの発達環境を論じよう。一番分かりやすい構図だ。
 授業を終えて研究室フロアーから西の窓には見事な夕焼け富士が、東の窓には明日夜月食になるとかの夕月が対照的な構図と色彩を提供してくれた。とくに、夕月のこの構図は、中学校の音楽の時間に参考曲としてならった「古戦場の秋」という歌を瞬時思い起こさせてくれた。短調のこの歌にぼくは強い心を寄せ、つらいことがあった日には、夜、大声で歌って憂さを晴らしたものだ。「夕月一つ 空に掛かる 戦場(いくさば)の蹟に 風ぞ騒ぐ 千草戦きて 泣くに似たり 虫もこそ啼けや 虫ぞ♪・・・・・」久しぶりに声を出した。ついでに久しぶりにピアノを奏でたいが、残念ながらピアノはすでに無い。作詞者の葛原しげる、作曲者の成田為三という人物名に中学校以来再びお目にかかるようになったのは、修士論文作成過程においてであったなぁ。ついでに二番も思い出そう。「誰が子ぞ一人 空を仰ぎ 戦場の蹟の 風に吹かれ 涙涸れ果てて、心泣くは 雨もこそ降れや 雨ぞ 」 こんな難しい日本語を当時の中学校では(音楽という教科を通じてではあったけれど)教えていたんだな、という感慨が湧いてくる。

 今日一日、学生たちと「対話」が出来た満足。この感慨、久しぶりだ。授業終了後、教卓の所に何人かの学生がやってきて、「先生、先週、Sさんから提案のあった『自分史を綴りみなでそれを学びあう』をやらないんですか?やりたいです。」という申し出があった。来週の授業が最後。今日の授業を受けて、やりたい、とも言う。10人近い学生が口々に申し出てきた。「嬉しいですね、やりましょうか、ただ、ダラダラ時系列で綴っても討議はしにくいから、今日の授業のように、我が生育史における母的なもの、父的なもの、というような枠組みを設けて綴って下さい。メール添付ファイルでぼくのところに送って下されば、来週、プリントして配布します。」と言った。どのような自分史が綴られてくるか、楽しみである。
 夕刻、池袋に出た。こんなご挨拶をいただいた。これもまた嬉しいですねぇ。