うれしはずかし、ありがたや

 『セガン研究報』を差し上げた方からこんなお礼メールが届いた。
「先生! ありがとうございました。
 すごいです! 表紙の透かしのセガン写真。信じられないくらい美しい写真は、まるでアルバムを見ているようです。
 見事な『セガン研究報』に接して、先生の、上質な心を感じ取ることができました。慈しみとともに出来上がった、確かな真実が存在する、温かな人のぬくもりが感じられる冊子・・・ 先生の足跡は歴史のメルクマールとして深く刻まれることと確信しています。『知的障害教育の開拓者セガンー孤立から社会化への探究』は、昨年から、○大医学部の「生命科学図書館」の書棚にも存在しています。本物を知る人に読み継がれていく本だと確信しています。」
 どやされ、軽蔑され、ドロップアウトを余儀なくしてきたこれまでの大方の人生だから、これほどの誉め言葉とはまるで縁がない。「上質な心」なんて無くて、ねたみ、恨みの心に支配されているし、「慈しみ」どころか、コン畜生、バカにしやがって、の心に支配されながら作ったものだし・・・、けれど、ありがたい応援歌をいただいたと思った今日だった。