またもやお腹を壊し  そうな一日

第1話
 「編集のお手伝いを致しましょうか?」
 そういう君の原稿は未提出だった。「いや、今は大丈夫です。困った時にはご相談します。」と外言はしたが、「つべこべ言わんとはよ原稿寄こせや。」と内言をした日は10日ほど前。その君からやっと原稿が届いた。締め切りを9日過ぎている。図版や写真を用いているので編集がずれるようだったら自分でやり直します、との断り書きがついていたが、ファイルを開けてみて怒りが猛烈にこみ上げてきた。執筆要項に示したのとは大違い。図版や写真のせい云々の問題よりも、書式そのものがデタラメ。おまけに、誰に読ませる気なのか、すさまじく小さなポイントの文字がびっしり詰まった「表」がいくつも。「読む人を意識したレイアウトのご一考を」との文言を添えて自己編集に差し戻した。
 若い時、「遅いからいいのが書けているかというとまずそれは嘘。無能だから遅くなる。早くなるのは言い訳の言葉だけ。」という厳しいお叱りを何度もいただいたことを思い出した。
第2話
 サロン・ド・ラヴィ、本日、という連絡を受けていたが、何時から何時まで、という連絡はついぞ来なかった。欠席通知は1人。で、午後1時前、1年生のお嬢さんが顔を出す。「1時からと聞いています。」 手作りクッキーを携えて。今日はKさんの誕生祝いを兼ねるのだった。15分ほどたってMさん。さらに30分ほどたってAさん。「Kさんは3時に来るそうです。」この時点でぼくはボイコットを決めた。1年生のお嬢さんも40分も席に座っておらず退出。当たり前だよ、こんな状況じゃ。手作りクッキーだけが残された。内言だが、とにかく、4時までは「会場を貸して」あげましょう。
 ボイコット以上に立腹したのが、「おはようございます。」と研究室に顔を出すことだ。「ここは特殊な業界か。」いまや日常的にどこでも「おはようございます」が飛び交っているが、それは普遍的な日本語ではあってはならない。「オレの研究室に入る時は、朝はおはようございます、昼からはこんにちは、日が沈んだらこんばんは。退出する時には失礼します、またはさようなら。女子部専用挨拶用語のごきげんようは厳禁、と叱咤した。ぽけーっとしているだけ。つまり、もう、「常識」という網をかけることすら困難な言語精神状況がある、ということだ。だったら、もう、サロン・ド・ラヴィはオレの手に負えるものではないな。もう一度強い口調で、「おはようございますはおミズ言葉だっ。オレは基本的に市井の人間を育てたいと思うし、だからこそ仲間でありたいと思う。」と。すると「おミズって何ですか?」「水商売ということだが、日常社会とは違った独特のモラリティで囲い込まれている、しかし日常社会と共存共栄している特別な社会・業界のこと。」言ってから、目の前のキャツラ、そういう社会にハートの眼なのだったな、と気付いた。もう、本当に、どうしようもないな、オレの及ぶ世界じゃないから。
第3話
 2人だけで何の語らいをしているのか。ぼくの方から「サロン・ド・ラヴィ」らしい話題提供をしようと思い立ち、「今日の主役がまだ来ないから、ぼくの方からオーセールの旅スライドをお目にかけましょう。」と声をかけた。すると「オーセールって何ですか?」 おいおい、オレはおまえにセガンの半生を綴った書物をプレゼントしたし、「セガン研究報」もプレゼントしているぞ、もらっても読んでいないし頭も使っていないことがバレバレだな、と内言しながら、「セガン研究の一場面ね。でも、講義の中で中世城郭都市の話は教育基礎の時間にしているからールソーの自立にかかわらせてね―、それを思い出してもらってもいいよ。」と、PCを操作した。石畳道路の場面で「あ、車がある!」。第一声だった。「城郭都市の現在では、現代文明の恩恵も受けてございますよ、お姫様。」 もうこの時点で、続きを見せる気が消えかかっていた。
 が、続いて、石段の写真。「さあ、この石段、誰のために作られたのでしょうね。言葉を換えましょう、誰が利用したのでしょうか。」 「市民」や「健常者」という観念を想起して欲しかったが、どだい無理であった。
 「じゃあさ、今の君なら階段上れる?」「はい」「じゃあ、片足失ったら?」「・・・・無理です。」「ぜんぜん目が見えなかったら?」「ぜったい無理です。」「ということは、この階段の役割は?」「・・・・」「人間を選ぶためだな。階段の上で社会を運営することができるとみなされるための選別道具。階段を上れる人は政治等に参加できるシステム、「市民」ですね。今日で言う「健常者」という概念に近いのかな。そしてそれを「普通」という。障害者の他に、特別な許可がない限り「階段を上れない人」は、農民、商人、流人等がおり、彼等は非市民であり、時として奴隷でしたね。障害者は日常生産性がないとみなされ、障害毎に囲い込まれるか、捨てられるか、殺されるか、しています。盲人は囲い込まれた代表で、鍼灸という仕事に就くだけが認められ、その証拠として白杖を持って街中を歩くことが許されています。
 こうして、差別は作られますね。この話は一つの歴史の事実です。階段のすべてを語っているわけではありませんが、現在、私たちの中に巣くっている健常者=当たり前、障害者=敗者、という意識と行動とを生みだしたのが、実は、こうした都市計画にあったことを知る格好の生史料が、目の前のモニターにありますよ。」
 どれほど通じたろうか。たぶん、心や意識には残っていない。むなしいとしか言いようがないこの関係性のサロン・ド・ラヴィ。もう解散するのがオレのためであろう。お腹がきりきりと痛み始めた。午後4時、「さあ、時間になったので、部屋を明け渡して下さい。」
第4話
 ぼくのお腹の痛みが最高潮となった頃、「今日は残業を申しつけられました。」とアルバイトのトドちゃんが顔を出した。突然幾重もの書類仕事が産み出されたそうな。相当お疲れのようだったので、今日、焼き肉を食べましょう、ご一緒して下さい、と申し出た。肉を焼きながらそれぞれが愚痴をこぼす。それほどにストレスが貯まった一日。一昨日の「クエ鍋」の時に東海林君が写してくれていた写真をアップしていなかったので、今日の焼き肉記念写真の代わりに。

 焼き肉では、カルビ、ロース、ミノ、キムチ、ライスというささやかなメニューでしたが、店は大忙しで返ってゆっくりとだべり合うことが出来ました。帰宅時には、お腹の痛みが消えていました。