疲れた&和み

 昨夜は眠れず。やはり神経集中の後遺症。
?今日はしょぼつく眼と闘いながら終日データピックアップ&入力作業。ほんの入り口にさえ到達させてもらえないほど微々たる歩み。
?光陽堂印刷に『教育学・教育実践論叢2012』の電子データを引き渡し。紙質、表紙色などを決めた。来週金曜日に出来上がってくるとのこと。約200ページ。大作。
?ひょっこりと顔を出したA君。確か20日に卒業のはずだが。
「3月10日やっと卒業が決まり、緊張から解放されたとたん熱を出して寝込みました。卒業式には出て、教員免許状を受け取りましたが、再び寝込み、入院、点滴を打ってもらっていました。やっと起き上がることが出来るようになったので、先生にご挨拶に伺いました。今年は教員採用試験に全力を傾けます。それまでは実家に帰らず東京にいます。時々遊びに来ていいですか。」
 彼の話の要旨はこのようだ。1年前期の教育基礎6回、同じく1年後期の総合講義「現代学入門」2回、計8回しか彼とは授業で顔をあわせていない。その彼が、迷った時に、自分の考えていること、為そうとすることについて、ぼくの考えを求めて、研究室を訪ねてきていた。といっても、年に1回程度。
「とうとう、卒業ですね。さみしくなりますね。」「本当にお世話になりました。先生はぼくの人生と学問の師です。授業でそんなに教わったわけではないですけれど、先生の姿からたくさん学ばせていただきました。これからも学んでいいですか?」「ぼくは何も君に学んでいただくことはないですよ。学生に嫌われているという事実が物語るだけです。」「先生の言葉には心があります。心を分かろうとしない者には伝わりません。伝わらなくていいのです。分かろうとする者、分かる価値があると思う者に伝わるのです。」「ありがとう。なんだか餞別をもらったような気分だよ。」「では、またお邪魔します。ありがとうございました。そうだ、握手して下さい。両手の握手を。」
 授業でのぼくの言葉ひとつひとつ、噛みしめていた彼の真摯な姿を思い起こす。毎授業終了後には必ず教卓に来て、「今日の宝物の言葉です。」とぼくの授業中のキーワードを拾い上げて示してくれたのも思い出す。こういう学生がいることで励みとなった日々。これからもA君のような存在感のある学生が現れることだろう。
?今日もまた仕事を自宅に持ち帰り。いつまで続くのやら。