今年度第一回自主ゼミ

 18時から19時半まで、第一回自主ゼミ。本谷宇一先生にもご参加いただいた。報告をご用意いただいていたが、第一回ということもありゼミ参加者の、いわば「顔見せ」が主体となるため、ご報告は次回送りにさせていただいた。
 自主セミ結成の呼びかけ提案者のSさんとぼくとが、ゼミの趣旨、運営の方法の提案の後、参加者の自己紹介。3大学5学科の学生ならびに本谷先生とぼくとで計9名。昨年度は理系学生が数名いたが今年度はゼロ。昨年度は女子学生が多かったが、今年度は男子学生が半数を占めるなど、昨年度と参加者構成が異なる。(写真は今年度自主ゼミのシンボル)
 Sさんから今回のディスカッション話題の提供。「学力テストの全員参加」を訴えるサンケイ記事を素材として。大学の授業で使用された資料ということだった。参加経験の有無、賛否の意思表明等々が語られる中で、「学力の高低はその学校が基盤としている地域(家庭)の文化的財政的環境による。」との見解が出され、国際的な「学力」を巡る状況も提出され、例えば、フィンランドと日本との比較結果などが紹介された。フィンランドは学力が低いところに財政補助を大きくするが、日本は学力が高いところに財政補助をする、フィンランドでは学力競争が無く世界一の学力国であるが、日本では学力競争が世界でも激しいが国際学力調査では必ずしも最上位というわけではないことなど。ぼくからは、新聞記事に表現されたことだけを「事実」として捉えてものを考えるのではなく、他にも情報を集めることによって「事実」の裏付けをし「賛否」などの考察に入るべきだ、例:かつて「学テ」を巡る闘いと分断とが行われたがその経験が教えてくれるものは何か、例えば、学校や学級の学力テスト結果を高めるための何らかの「操作」が為されていたことが明らかにされているが、今日ではそれがないのか等々―これに関しては参加者の経験の披露があった、「操作」が行われていた「疑い」がある、と。また、本谷先生からは「学テ」は次の学習指導要領を定める指標づくりともなっている旨のご発言があった。
 「学力テスト」でいう「学力」が基本的知識だけではなく論理性・創造性・想像性をも問うているという経験値が学生から提出されたのは、興味深かった。議論の中では「何が正解として求められているかを考えて記述している」という多くの声が出された。そしてそれは本当の意味で、創造性・想像性には通じていないだろう、という声に結びついている、
 確かな洞察力、豊かな感性を持った学生たちと共に学べる幸せを噛みしめることができた90分であった。ぼくの方から最後に「知の国家管理をぼくは恐れる」と問題提起した。世界に類例のない「学習指導要領」(遵守義務を命令される、国で統一されたただ一つの教育課程文書)の捉えなおしを皆でしたいと願ったからだ。
 終了後有志で食事談笑会。
 このゼミの様子などはY君に託して伝えてもらうことを願った。授業改革の方向性の提案となる。