由緒正しい日本の母子発見

 常磐線上野駅を下りた。目的は今日の校務の合間に食する駅弁購入のため。9時半頃だと駅弁屋ぐらいしか開いていないのだ。いや、そのことを綴るのでは無く、今日の主題はなんと言っても表題通り。ジェンダー問題だと指摘されるとするならば、「由緒正しい日本の親子発見」でもかまわない。何が由緒正しいか、って?若い母親が幼子を右手に引き、左手には比較的大きな荷物、そして背中にはおぶい紐で背負われた乳児。すっかりこうした「風景」を見なくなったので、心和んだ次第。
 けばけばしい化粧と下着を露わにしたような服装、そしてアートネイルとかいう手爪ごちゃ塗りにスマホを耳に当てあるいは画面に見入りながら、ベビーカーを押して歩く。その足下は時としてピンヒール。和製洋風光景にすっかり埋没している昨今の子連れ姿と出会うたびに、「親の体温や鼓動、呼吸のための身体の微妙な動きから隔絶され、声や目線でさえスマホ・携帯に奪われた子どもは、今まさに、新しい文明による実験台に載せられているんだけど、どのような人格の持ち主として形成されていくのだろうか。」と思うし、時には道連れの方につぶやく。
反面、今日の「母子風景」の「母」の端整な姿形からは「美」さえ感じられた。
閑話休題] 学生結婚をし1年余で子どもを授かった。妻はいわゆる勤労学生。我らの生活費の工面は、妻の給料をメインとし、ぼくのアルバイト収入と奨学金をサブとした。日常生活のリズムは、妻は規則正しく、ぼくは生意気盛りの研究者の卵故、不規則を当然のこととしていた。有り体に言えば、日中の時間的融通はぼくが利くということ。それで、買い出し、料理など「家事」といわれるものをぼくが担当することが多かった。子どもは保育園に預けることができたが、家庭保育の日や時間はぼくの担当。買い出しは、幼子をおぶい紐で背中にくくりつけて(?)出かける。世間(専業主婦とかいう人たちと街のカオといわれる人たち)の白い目を浴びながら(「男のくせに」「いい大人の男が日中から子守?」「奥さんに逃げられたのよ。」等々)、その一方で、基本的には個人商店で魚、肉、野菜類を購入。店番の「奥さん」に、「家族それぞれができることをやっていかないとね。」、「おぶい紐の締め方少し変えないと、子どもさんがずり落ちていってしまうわよ。」と等と応援され、あるいはご指導をいただいた。お一人お一人のことを、今、とても懐かしく思い出す。世間口の方はどんな顔をし、どんな声色だったのかとんと思い出すことはできないのだが。
 そうそう、下駄をカランコロンと打ち鳴らして買い出しに行ったとき、「子どもさんをおんぶしていて下駄は無いでしょ!」とすごい剣幕で「おばさん」に叱られたっけ。そのことが縁で、その「おばさん」をコアとした地域の子どもの教育と文化を考えるささやかな組織作りに関わらせていただくことになったのだったなぁ。今から30数年前の東京下町での話。