筏材木商社

 ペチカ用の木材が「筏」に組まれセーヌ川を下ってパリに到着。さあ、この「筏」はパリを東西に貫くセーヌ川のどのあたりに漂着し、「薪材」として陸揚げされるのだろうか。そんな意識で昨日入手したpdfファイルを眺めていたら、1840年文書「筏材木商社」組合員名簿に行き当たった。組合ビューローがQuai de la Rapée 45 に置かれている。現12区、当時7区。ラ・ラペー河岸はパリ右岸(東:)ベルシーから(西:)バスティーユ下一体の河岸。この河岸を中心にしてセーヌ川両岸地域に「筏材木商社」が軒を並べていたようだ。同組合員名簿によると、約50社に及ぶ。河岸に陸揚げされた薪材は各社に引き取られ、各社から卸業者に、卸業者から小売業者へと渡り、小売業者が荷車に薪材を積んで街中を売り歩く。下の図版は18世紀のもの。

 こうして人々のペチカで使われ、暖、料理、時には明かりの源となる。もちろん、火を囲んでの、人々の豊かなコミュニケーションを励ます。「近代およびそれ以前」の「文明」。それを「薪材で作る筏」を視点として、捉えたい。
 丸善の綿谷さんが新人さんを連れて挨拶回りをしている際にぼくの部屋にも立ち寄ってくれた。このようなぼくの「新しい研究」について少しお話しし、資料収集の協力をお願いした−クラムシーのクロード・ティリエ「パンフレット」−。「フランス文化事典」を注文。