薪材で作る筏は・・・

 今日は現代発行されている資料で情報を収集しよう。「筏」に特化されている資料集では無く、フランス文化としての「職人」の視点から記録されたもの。
 2008年、Jean-Cyrille Godefroy社から刊行されたDaniel Boucard著『中世から1914年までの職人事典−イラスト入り、選詩集付き』に"Flotteur de bois"の項目がある。訳語を「筏師」とあてておこう。厳密な訳語は「木材で作る貨列を組み立て運行する職人」。文献にしばしば登場するles trains de boisを「木材(あるいは薪材)で作る貨列」と訳語をあてることにする。また「職人」にあたる原語はOuverierで、現在は「労働者」が訳義だが、古語では「職人」の語義で使用されているので、ここでも「職人」を訳義とする。『事典』は次のように続く。「木材で作る貨列は1449年には利用されはじめたフランスの運搬手段として知られる。ルーヴとか言う人が、暖房用の木材をモルヴァンからセーヌ川およびその支流を利用してパリに供給することを考えついた。この方法は1870年に消滅した」。そして、次の2葉の図版写真を載せている。




 だが、ぼくのこれまで知り得た情報に見られる「筏師」や「薪材で作る筏」とは異なっている。とくに図版右は「筏の上に薪材が載せられている」図であって、「木材で作る貨列」とはとても言いがたいでは無いか。そういう図版に対する疑問を具体的に解いていくことも面白かろう。この図版を描いたのは、扉頁のガイドによると、『辞書』著者のDaniel Boucardであるようだ。
 ところで、16世紀中葉、パリにシャルル・ルコント(Charles Leconte)という人物がいたそうだ。「筏に薪材を乗せて筏師がパリに運ぶ」という運搬方法(上の右図版がそうだと推測されるのだが、これでは「筏師」たちが長旅の間、身体を休める空間さえ無い)はブルゴーニュ公シャルルVI時代の1415年から始められていたが(これを始めたのがジャン・ルーヴだと推測される)、それより1世紀後、薪材を貨列に組んだ筏がパリに運航されるようになった。それを最初に実現させたのがシャルル・ルコント。初めての筏の貨列がパリに到着したのが1547年4月22日のことであった。



図版の出典はモロウ(昨日ブログで紹介した筏商人組合の組合長)『貨列筏の歴史Histoire du Flottage en Trains』1845。筏がセーヌ川を下っている、向こう河岸(セーヌ川右岸、セレスタン港)ではパリ市民、セーヌ川を流れる筏には二人の筏師、こちら岸(サン=ルイ島右岸側)では「貨列初お目見え、1547年」の幟旗を立てた一行(おそらく筏商人組合員関係)。喜びと歓迎の雰囲気が伝わってくる。
 さあ、ぼくも、「筏」に乗ってこいつの歴史文化を温ねよう。