出版社の編集はなんのためにあるのか

 昨日の「弊社」は自費出版社であり基本的に「弊社」として著者の原稿(記述)に手を入れない方針だった。ぼくは長く出版業界とつながってきたがそういう出版社は初めてだったので、正直なところ、「訳が分からない」状況に追い込まれ、腹立たしさだけが湧いてきていた。昨今出版社広告に「あなたの原稿を本にしませんか?」という自費出版の案内があり、その中に、著者がすることは出版のための原稿を出版社に持ち込むだけ、後の作業はまさに懇切丁寧であると言う。「その分だけ費用は掛かります。」とハッキリ書いてあるところもある。「弊社は自費出版社ですから著者から出来上がり電子データーをいただき、印刷、製本に回すだけです。」などの文言は一切書かれていない。安上がりするためには手順を省略し、人件費を削り・・・ということなのだが、さて・・・・。
 じつは、その自費出版社の「弊社」が「自社企画本」を出すこともある。昨日綴った書物は「弊社社長・編集局長」が「何かいい企画はございませんか?」と「著者」に相談したことから、話が始まっている。著者はいろいろと提案をし、その中から複数の企画が「採用」された。著者は手書き原稿を通している方。「弊社」はページあたり400字原稿で○枚、総ページ○頁、判型は×型との割り付け案、出版期日、部数、定価を著者に提示する。・・・自費出版でない通常の出版事業の出発、のはずだった。ごたごたがあり、ぼくは「弊社」との関わりは一切持たないことを「著者」に宣言をし、それはそれで終わった。
 だが、著者は「弊社」にもう一つ企画Aを提案していた。その企画の執筆過程−執筆前も含む−で著者から依頼を受けあれこれと資料探索や資料提供をしたけれど、その協力は「著者」とぼくとの間の、著者の言う「友情」に基づくことなので、「弊社」が具体的に関わっているであろうことについては無干渉を貫いた。一度だけ、こんなことがあったことはあったが−「弊社編集局長」同席の許で企画Aの最終的な詰めの会議が持たれたことがある。その場で「編集局長」は、著者に対して、「かなり川口先生のご協力をいただいているのですから扉に川口先生のお名前をお入れすべきかと存じますが。」と提案したが、著者は「それはまったくあり得ません。これはぼくの本ですから。」と拒絶した。まあ、著者の言う「友情」というのは、いろいろの関わりを振り返ってみると、著者に対して全身全霊の無償奉仕が求められるだけ−そう、大学における旧態然たる封建制そのもので、こちらに奉仕されることはまずない、ということが分かるし、これはぼくと著者との間だけのことなのではないのだろうと、推察している−。出来上がり書物には、扉にも、前書きにも、後書きにも、ぼくの名前−いわゆる献辞、謝辞−は入っていない。そして、入っていなくて良かったと、大きく胸をなで下ろすときが来る。それは著者からは「著者割引の2割引で買え」という指示が来たが、「弊社」から「弊社献呈」で送られてきた本を丹念に読んだときだ。
 それはある人物の評伝(に属する書物)だが、ある人物は文学作品−俳句、短歌、詩歌のたぐい−を数多く残している。いくつかの頁で著者は俳句を紹介し、その意味解釈をしている。「これら7首の俳句は・・」との記述に驚愕した。この頁の誤植なのだろうと思ったし、それはどのようなプロの編集者に掛かっても見逃される誤植のたぐいかも知れないと思ったが、いや、あっちこっちに同じく「首」と「俳句」とを結びつけているではないか!著者は詩歌をモノにする方だと、日常の言動から拝察していたが、そうではないのか?念のために著者に、「弊社」からこの記述に関して編集上の疑問−いわゆる付箋−が付けられなかったのか、と訊ねたら、・・・もう言わぬが花。同様の基礎教養に関わる誤認が散見される書物であることが分かったし、記述の不統一もかなり多く見られるし、調査不足を露呈する記述も見られる。
 忘れられない一コマは、またいずれ、綴ることにしよう。
 著者のそうした記述上の問題を編集者が編集過程で著者に注意をし(問い合わせなど)、きちんとした情報に正されることこそ本作りであろうに、つまり、一冊の本は著者と編集者との共同作業によって、後々まで信頼される文化財となって残るだろうに、「弊社」はそうした社会的使命を放棄しているとしか思えない。業績至上主義のこの世の中が「弊社」のような出版社を生み出したとも言える。もっとも、そのようなクソ文化を綴るような著者に対する賛美は、相も変わらず、高い。もう辟易した思い。
 ぼくの出した『教師像の探究』(教育史料出版社)は、当時の出版社社長(故人)がぼくの友人であったこともあり、ぼくが持ち込んだ原稿を快く出版してくれた作品だ。社長は橋田さんと言うが、橋田さんが「川口さん、あなたの原稿の担当はこの子にします。不登校でそのまま高校中退をしています。一から鍛えてやってください。」と言って紹介してくれた未成年男子との共同作業となった。あらゆるページに付箋が貼られてぼくの手許に帰ってくる。それに一つ一つ答え、あるいは修正し、彼のところに返す・・・・そんなやりとりを10回近くしてできた本。それでも校正の見逃しがある、誤記述の箇所がある。だが、本当に愛着のある著書である。その青年はぼくの本を仕上げて程なく、別の社会に巣立っていった。
 本も創る、人も創る。そんな出版業界はもうないのだろうか。いや、姫様のところはそういう出版社だと信じたい。だからこそ姫様から出版の可能性のささやきをいただいたとき、新たなぼくの可能性を探し、創る旅に出る覚悟を決めたのだ。