運動論に援用するためのセガン像構築?

 「疑問を出すということは、それを解決することでなければならない。」(薬師川虹一訳、1ページ)
 言わずと知れたセガン1866年著書です。先生は、とりわけこのフレーズがお好きなようで、某書等寄稿論文の中でも引用されておりますね。しかし、原文は以下のようです。
To put the question was to solve it.
 明確に過去形表現です。現在形だと、あたかも格言風でかっこいいと思うのかも知れません。しかし大違いです。
 疑問に思うことがあってもその疑問に答えてくれるような適切な文献等がなく、自らがその答えを、実験を重ねながら、理論学習をしながら、先人に学びながら、解決の道を見いださなければならなかった、という内容趣旨です。セガンの白痴教育は道無き道を切り開くものであったということを、セガン自身が端的に表現したものだと、私は理解します。この理解によって、セガンのフランス時代の実像が明確に浮かび上がってくるのです 「難解な英文を辞書を引き引き何度も読み返し、心の底から感動がわき上がってきた」とお話になるときに必ず引用されるのが、この「疑問を出すということは、それを解決することでなければならない。」でした。この時点で私は、先生が、セガンの原典を丹念に、つまりセガンの言説を忠実に読み込んだのではなく、ご自身の「障がい者教育」論やそれに基づく運動論に肉付けするためにセガンを利用したとしか思えなかったし、今もその思いは消えておりません。
 セガン研究の第三期は、先生たちが構築された第2期セガン像「セガンの業績を高く評価したフランス政府は、セガンをラ・サルペトリエール院、続いてビセートル院に招聘した」という偽りに満ちた歴史観からいかに脱却するかという課題を持って出発しております。
 だからこそ、先生は、セガン生誕200周年記念事業に積極的に関わりを持とうとなさらないのでしょうね。残念です。