ご老体(facebook投稿と重なる)

 セガンのシンポジウムの会場で、通訳さんに「あの人は歳いくつ?」とぼくのことを尋ねた人がいたそうな。で、通訳さん「70いくつだと聞いてます。」と答えた。「日本ってそんなに働くの?」との反応。ここまでの報告を受けて、ぼく、「あのですね、70代じゃなく、まだ60代ね。年金制度が十分じゃないし、財産がないから、働かないと生きていけない、って教えてあげてください。」
 こんなことがあったなあと考えていた昨夜の帰路、山手線内でぼけっと車内つり広告を見ていたら、初老のご婦人から「おじいさん、ここ座りなさい。」とお声が掛かった。ありがたいけれど、座りたいという気持ちも肉体疲労もないので「いや〜けっこうですよ。」とやんわりお断りしたけれど、「私は次で下りるんだから、いいからお座りなさい。」と手を引かれて座席に引き連れられた。「ありがとうございます。それでは遠慮なく。」と座って、深くお辞儀をし、お礼の印とした。そんなにオレって「ご老体」なんだな、と思う。
 でもよー、なんだな、ご老体なんだけど、ふらふらしているようで心配になってしまうんだろうけれど、先ほどまで青春真っ盛りの若者たちと賑やかに談笑していたんだわさ。大学に勤務しているという特権ご老体なんだな。そんな風には、見えないんだろうね、初老のご婦人。
 「次で下りる」とのたまわったご婦人、事実、次の駅で下車されました。私は、座ったままでしたけれど、「ご親切をありがとうございました。」と声をおかけしましたら、ご婦人にっこりを振り返ってホームの人となりました。
 この老体、あと1年余で青春まっただ中との共同生活中心社会からお別れし、青春とはまったく縁のない世界の住人となるわけであります。生きていけるんかいな、精神が。
○生徒指導の研究終了後ある学生が相談事があると言ってきた。研究室で話を伺う。家庭内暴力に悩んでいるという。まだひどくはない状況のようだ。青年期特有の体と心の発達のアンバランスで、自己コントロールがうまくいっていないことが主因だと判断。無理矢理心を開くのではなく、一緒に歩むこと、甘えること、家事を共同ですることを通じて、自立を進める必要がある旨を、具体的に語る。それにしても大学生がそうした問題を背負わなければならないこと自体に、ぼくは協同的にあった方がいいのだろうな、と感じた次第。1時間余の面談。
○6時から自主ゼミ。ぼくのレポート。この10年間の研究的歩みにおける葛藤が主題。
帰宅午前0時を回る。さすがに疲れた。