「対立」を読む

 M君が原稿を持って来室した。「教師への道も魅力はありますが、新聞記者の道を歩もうかと考えています。」と彼は言う。そのために新聞労連が開いている「作文ゼミ」で文章の書き方の訓練を受けている、持参をしたのはそのための原稿だ、と言う。誠実そのもののM君にふさわしい職能だと直ちに賛意を示した。ぼくの研究室に出入りしていた先輩の中に某紙政治部の記者がいることを紹介。
 M君は原発事故被害者。原発によって地域が潤ってきたその「恩恵」も受けてきた一人。もちろん、M君の地域の人々にとって、今もなお「原発」が存在することの「恩恵」を受けている者も少なくない。しかしM君は、原発被害によって「帰るべき故郷を失った」一人でもある。生を受け、育まれてきたその地域に住まうことができないのだ。文字通りアイデンティティの崩壊。M君にとって、アイデンティティを再構築するという課題と、一からのその方法の構築という課題とが、今のそしてかなり先にまで続く宿命である。だからこそM君は、「恩恵」を受けている者の「断腸の思いとの葛藤」への共感を示しつつ、「雇用や生活は大事だが、私はこのような状況には反対である。なぜなら、原発によってたった一つの故郷を奪い去られたからだ」と原稿「対立」を結ぶ。
 限られた字数の中で、しかし表したい思いや経験が沢山あろう。だが、新聞記事という世界の中で描く技能は非常な高度さが要求される。なぜなら、すべての読者の意識にまで届くことを宿命(職能)とする文化だからだ。それは読者に「第二の故郷」を提供することになる。
 M君は今、ぼくが授業の中で彼に告げた「新しい故郷を創ることが君の宿命だね。」と言ったことへ、歩み始めた。心から応援したい。
◎午後から『エミール』ゼミ。どうも書中の指示語の理解ができない。挿入逸話の理解のために旧約聖書を取り出し確認。「研究の必要のために揃えてあるんだよ。」と分厚い聖書を説明。20日、今年ご苦労さん会開催決定。