日本橋七福神めぐり

 「恒例の初詣はどこにしましょうか?」「おまかせします。」
 というわけで、典型的日本人男性として、つまり、主体性を欠落し、あなた任せで歩いて一人前以上にぶーたれる、恒例の初詣行事は、貴婦人の提案で、日本橋七福神めぐりとなった。とにかく行ったことがないと言っていいほどのところ故、間違いなく貴婦人に導かれて歩く。まずは、松坂屋に立ち寄る、という。「江戸出初式」セレモニー見学。纏ふりとはしご乗り


 このセレモニー見学でさっそくぶーたれる。「互いに見学する身なのだから、割って入ったり、人の背中こついたりするのは、やめなさいよ!まったくもう。」言われたのはおばさまばかり。それでも平気の平左だったから、本気で、殴ろうかと思ったほど。警察に行くのはイヤだから、何とか思いとどまったけれど。「どことなく筏師文化と共通するような気がするなぁ」と貴婦人につぶやき、姫さまにメール。貴婦人はにっこり、姫さまからは「同じ木の文化ですからね。」と、つれないようなつれなくないような返信が届いた。
 松坂屋の外に出てさっそく七福神めぐりに出発。ただし、松坂屋からいただいた案内ビラに書かれた行程の逆に進むことにした。絶対、人混みに巻き込まれてぶーたれること間違いないから、というのが内心の理由。
 案内ビラの逆行程とは、寶田恵比寿神社8→椙森神社(恵比寿)7→末廣神社毘沙門天)6→笠間稲荷神社(寿老神)5→松島神社(大国神)4→水天宮(弁財天)3→茶ノ木神社(布袋尊)2→小網神社(福禄寿・弁財天)1 数字が案内ビラに示された順。あれ〜七福神でしょ?神社が8つあるよ?この松坂屋が絡んでいる七福神めぐりとは別の七福神めぐりの案内も出ていた。そちらは「色紙」に「朱印」をもらう「宝船」方式で、きっと、それがいわゆる「正統派」なのだろう。それには寶田恵比寿神社8が入っていない。これらの理由は分からない。
 この界隈、じつは、貴婦人のOL時代以降、実になじみのあるところだと教わった。「お昼ご飯は、今ニューヨークにいる元同僚のお友達と、こことあそこでいただいたのよ。」ここはカレー屋、あそこは蕎麦屋。界隈の雰囲気、少しはきれいになったけれど、前のまま、だとか。それじゃ、ちょっと早い昼時だけど、と、カレー屋に足を踏み入れた。牛が辛口豚が甘口ね。じゃ、牛。いや、おいしゅうございました。「夜は飲み屋です」と張り紙があったので、その雰囲気をカメラに収めた。が、店の名前を確かめるのを忘れてしまっている。いや、名前で食べるのではない、味で食べるのだ。本当においしいカレーだった。貴婦人、昼食は別のところを考えてきて下さったのだとか。そういう予定を平気の平左で壊してしまう、相も変わらぬ鈍い本年の老鶴でした。

 さて、七福神めぐり。ぼくの興味を呼び寄せたのが末廣神社毘沙門天)。この地域一帯は旧吉原(葭原)だったそうで、この神社の守護の下にある地域だ。色街の名残を拾った。

水天宮(弁財天)と小網神社(福禄寿・弁財天)は人の列がすさまじかった。水天宮は貴婦人がお世話になったところだとかでいろいろお話を伺いながら長蛇の列に耐えて並びお参りを済ませた。さすがお産関係のお宮さんだけあって、他の神社とは違って、若い人の姿が多かった。そして、若い人は礼儀がしっかりしていると、改めて発見した次第。そうそう、無礼なおばさまたちに結構出会ったものだから、「うちの学生の方がよっぽど社会性がありますよ。」と貴婦人につぶやいたら、「あらぁ、学生が聞いたら泣いて喜ぶわよ。」と、目を輝かせておられた。
 さて、最後の小網神社(福禄寿・弁財天)。もう人影など無いだろうと思って神社へ行き着く角を回ると、長蛇の列。貴婦人はカメラを構え、ぼくは列の最後尾に並んだ。ところが、貴婦人が「え?並ぶの?」という。日頃のぼくの行動をよくご存じだけあったので、意外性に驚いた案配。「じゃ、止めましょう。」日照が弱くなり、ビル風がさらに冷たさを増してきていたので、松坂屋に戻ることにした。
 約2時間のささやかな散歩。楽しい一時でありました。