研究室にて

 朝から研究室にて「よしなしことを」(「よしな、しごとを」ではない!)進めたけれど、まだ気が乗らない。従って終わっていない。来週に持ち越しとなる。
☆ 帰宅時、偶然細君の帰宅と出会った。
 「夕食、外で食べていきます?」「そうね。」「じゃあ、にえもんのうなぎでも。」「ちょっと贅沢じゃない?」「お正月だしさ。上娘も震災地ボランティアでいないから経費は少なくてすむし。」「うふふ。そうね。」
 「明けましておめでとうございます。」と言いながら暖簾をくぐったら、お店は満席状態。といっても、にえもんはカウンター5席、座敷テーブル2卓の小さな店。「あ、先生!明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします!」おかみさんのいつもにもまして元気なご挨拶で向かえていただいた。二人分の席をカウンターにこしらえて下さる。ご主人は、たいてい無口で笑顔が素敵、と相場が決まっているそのままの姿で、「らっしゃい。」と出迎えて下さった。
 鰻重が出てくるまでかなりの時間がかかった。後で分かったことだが、ご飯を炊いていたのだそうだ。
 「でも、お二人でにこやかにお話しなさっていたの、お若いころと、ぜんぜん変わらないわね。そうそう、先生が埼玉大学にお勤めのころ、いつもおふたりが手をつないで店の前を通り過ぎて行かれるのね。お仲がよろしいなんて冷やかしていたけれど、正直言うとうらやましかったわ。」
 ご主人、にんまり笑っているだけ。
 「あの頃、ぼくも、テレビに出たりして、元気がありましたよね。」
 「今もお若いわよ、ねえ。」
 「いや、若くないですよ。その証拠に、細君とは手つなぎで歩きませんもの。」
 店の客も大笑いで応じてくれた。細君もにこにこ。ちょっと口の端が歪んだように思ったのは、気のせい?
 お店のご夫婦、細君より2歳年上だそうだ。この地にぼくたちが越してきた時、真新しいお店だった。玄関横の小さな生け簀に鯉がはねていた光景を思い出す。生け簀と小さな水車は今もあるが、鯉はいない。夜陰に紛れて持って行ってしまう輩が出没するようになったからだ。
 30年前のある日から、店のご夫婦と我ら夫婦とは、互いの子どもの育ちについて智恵と技を出し合ってきた。机上の教育論でしかないぼくの教育語りに対して、それと現実とが照応している教育現場情報を提供して下さるのがおかみさん。テレビに映るぼくの姿を、店のお客さんに紹介し、モニターに向かって「がんばって、先生!」と応援して下さりもした。
 あれやこれやと、有難い思い出話に花を咲かせながら、とびっきりにおいしい鰻重をいただいた。
 「ごちそうさまでした。」