度量衡「改革」

 中近世から近代初期にかけての産業文化であるフランス中東部の「薪材で作る筏」は、時々の「産業革命」と無縁であったわけではない。むしろ直接波をかぶったというべきだろう。このことに気づいたのは2003年、「清水先生と行くルソー、セガン、21世紀平和への旅」の準備過程で、クラムシー観光パンフレットの翻訳を手がけた時だった。フランス語がまださっぱり分からないというほどの力しかなかった時(今もそうだという突っ込みはひとまず置いておくとして)、少しでも読みの力を蓄えたいと思って手がけたことだった。
 観光パンフレットには当該事に関して、「他と同じようにクラムシーでも革命期は大暴動の地となった。19世紀には容計量りの10進法への転換の際に、「枡」暴動が起こった。」と記述があるだけである。ここには、革命に伴う暴動(18世紀末)、19世紀とあるがフランス革命期に断行された度量衡転換(1770年?)にともなう暴動の二種が記されている。このことについてさらに詳しい情報が欲しいと思っていたのだけれど、今学習中の文献に、次のような記述を見いだすことができる。
「革命後、新しい度量法が導入され、特に、1799年から、ステール(stère)と堆積場(port)に積み重ねられた全ての薪材はデカステール(décastère 10立方メートル)で算定された。薪材の積み上げ人たち(les empileurs)は、薪材の山(les piles)を3メートルの高さに上げなければならなかった。床(couche)(長さ)3メートルがちょうどよいデカステールとなる。しかし、当時から1945年まで、木材は3ピエ半(1.14m)が守られている。」
 こうしたデータと出会うことが時代社会を具体的にイメージすることができるわけで、訳出そのものはテクニカルターム頻出故困難だが、作業の楽しみが沸いてくる。
 さて、どのように、人びとは闘ったのか?その記録史料と出会えれば、これほど喜びとすることはないのだが。
「筏」にかかわって、今日分かったこと
薪材の長さは3ピエ半(1.14M)でずっと統一されてきたということ。