なかなか薪材はクラムシーに行き着かない

 16世紀から20世紀までフランスの産業文化の一つをになったペチカ用の薪材の生産・流通で、もっとも知られているのが、フランス中部地方クラムシーを起点とした「薪材で作る筏流し」である。この「筏」を運航するのが「筏師」。独特の衣装風貌はかつて絵葉書の図柄にもなっていた。

現在はクラムシー・ヨンヌ川に掛かるベトレーム橋の欄干に記念石像として建てられている。
側面写真:

正面写真:

 「筏師たち(les flotteurs)」は、19世紀半ばに刊行された『フランス人の自画像』という叢書の付録として発行された『ル・プリズム 19世紀の精神百科』という冊子にエドゥアール・セガンが綴ったエッセイ(1841年作)の表題であるが、今日、当該事の記録・論文等には必ず引用されている。
 クラムシーで「筏」に組み立てられた薪材が「筏師」とその「弟子」との二人でヨンヌ川→セーヌ川を運航されるのだが、セガンは、セーヌ川に合流する前に、「筏」は水量が少なくなったことによって座礁してしまうところで、エッセイを閉じている。一体それはどういう意図からなのだろうか、という関心を抱いたことから、ぼくの「薪材筏」及び「筏師」に関する強い関心となり続けてきた。
 クラムシーの奥地にモルヴァンという森林地帯がある(現在では避暑地として名高いそうだ)。そのモルヴァンの森に生える樫の木が薪材の原料である。モルヴァンは豊かな水量を運ぶ河川の原点でもある。モルヴァンの森で切り出された樫の木が早瀬の小川に投げ込まれ、一次的な薪材の集積場に引き上げられ、そこで一次的な売買がなされ、また川に流されクラムシーに薪材が到着。伐採からクラムシーまでおおよそ3ヶ月掛かっているようだ。次のような記録が見いだされる。
「水門は、1767年2月、アリンゲット(Arringette)で開けられた。3月8日及び9日に、薪材に適さない小枝はブラジ(Blaizy)のあたりで選別され、3月の終わりに、薪材の引き上げが、クラムシーからリュシーで実施された。薪材の積み重ね(刻印による最終的な積み重ね)は5月終わりに終わっている。」
 この間「筏師」の出番はない。
 クラムシーで巨大な筏が建築されるが、その差配をするのが「筏師」なのか?セガンのエッセイを読む限りはそうなのだが、実情は違うようである。現在刊行されている史資料集では次のように簡便に綴られている。
「筏師(le flotteur)はヨンヌ渓谷(les Vaux d’Yonne)の岸辺にいて、ピコ(picot 尖槌)を用いて川から薪材を引き上げる。それから、自身が運ぶ薪材を刻印(leurs marques)によって選り分けて後、3メートルの高さに積み上げる
 筏の請負業者(le faiseurde flottage)は、クーポン(coupon 筏の床)に組み立てるために、長さ4メートルのブランシュ(brancheひとまとまり)に薪材を束ねることのできる筏師チーム(une équipe de flotteurs)を差配する建築業者(le untrepreneur)である。クーポンは4つのブランシェが組み合わされて1単位となり、18のクーポンが互いにつなぎ合わされ、トラン(le train 荷列)が出来あがる。」
 ・・・というわけで、現在、モルヴァンの森で早瀬に投げ込まれた「薪材」候補たちが、第一次集積場に向かって、自然の流れに乗って移動中であります。クラムシーまで3ヶ月掛かるのじゃ。