「筏師」調査研究


〔薪材で作る筏を発明したとの伝説のあるジャン・ルーヴ胸像〕
 セガンの生誕の地フランス共和国クラムシー市は、21世紀の足音が聞こえ始めた頃、「筏師」に関する発掘調査結果を次々と公刊した。なぜ、そうなのか?という問いを持っていたのだが、今日、"L'écoulage de la moulée sur le Beuvron et le Sauzay(ブヴロン川とソゼ川での筏流し)"(Les Traîne-Bûshes du Morvan, Achevé d'imprimer en décembre 1999.)の「まえがき」を読んで理解することができた。「まえがき」の執筆者は当時のクラムシー市長ベルナール・バルダン(Bernard BARDIN)氏。2003年7月末に「清水先生と行くルソー・セガン・21世紀平和への旅」の一行がクラムシーを訪問した際に市庁舎で歓迎レセプションを開いて下さり、また2005年3月初旬雪のクラムシーを単独で訪問した際にも市長室で面談をして下さった方。単独訪問の際に、「私は歴史と文化を大事にしたいと思っています。」という言葉をいただいたことが印象に残っている。「筏師」も、そして「セガン」も、クラムシーにとっては大切な「文化」だということで、きちんと資史料発掘をし、保存体制を取っていきたいとのお話しだった。その後、市長が交代したこともあって、クラムシーの歴史・文化に関する興味・関心・公刊の勢いは止まっているかのごとくであるが、昨年10月末のセガン生誕200周年記念シンポジウムの会場でバルタン氏と立ち話をした際に、「必ず実行しますから、楽しみにしてお待ち下さい。」と、「筏師」や「セガン」の歴史保存・評価の「復権」を約して下さった。シンポジウムでのぼくの報告に対して過大な評価を下さったのも、この「復権」への一里塚だと判断なさったからなのだろうと思う。
 さて、そのバルタン氏、次のように綴っている。
 「エミール・ギリアン(Emile GUILLIEN)は私たちを私たち自身の過去への感動的な旅に誘ったくれる。それは、ヨンヌ川の、ブヴロン川の、ソゼ川に沿って造られた我が市(ville)の、我がコミューン(commune)のそれである。
 18世紀から1860年に遡るこの旅は、私たちに、薪材の筏(le flottage du bois)、より正確に言えば、ヨンヌ川に合流する前のブヴロン川とソゼ川に沿った市とコミューンの筏流し(l’écoulage)と結びついた経済的、法律的、社会的分析を提供してくれる。
 エミール・ギリアンによって分析・使用された市立古文書館所蔵の文書類は、それまでほとんど手がつけられていない状態で文書館に眠っていた。私たちは、本書を通して、それらを間近にかつ手に取ることで、突然、私たちの祖先と向かい合うのである。筏師たち固有の言葉からは、どこか詩情を誘う感情が沸き上がってくる。その言葉は、一つの文化の、言い換えれば、人間の喜びと苦しみの証しである。
 間違いなく、「筏師の故郷(Pays des flotteurs)」があった。ちょうど世紀が変わろうとしている今、私たちは、当地の発展に関して、適切な所轄領域を定義しようと考えをめぐらせている。エミール・ギリアンの非常に面白い研究が、向後の確実な定義となる歴史と地理とを考える上で、大いに助けとなる。彼の研究が我々の明日を計画することに多くのことを示唆してくれているのである。何しろ、「その源流に応じてしか川は大洋に流れ込まない」のだから。」