記録を逸した旅

 書架整理中に顔を出した資料類を眺めていて、ああ、ここ行ったね−、と感慨にふける第2日。今日は2001年早春の南フランス・アルルの旅に関わって。
 当時、南フランス、ニース近郊のフレネ学校参観などフレネ教育史を研究していたこともあり、ガイド・通訳の任を梶原さんという、お子さん2人をフレネ学校に通わせていたご婦人にお願いしていた。その梶原さんからお勧めいただき、ご案内いただいたのがこの地域の「歴史」であったのだ。 このパンフレットはアルルのアルラタン博物館。このことに関しては「南仏・アルル及び近郊 色の旅(http://eseguin.web.fc2.com/pdf/aruru.pdf)」に綴っているので、別のことを書こう。
 アルラタン博物館を創設した人物はフレデリックミストラル(Frédéric Mistral、1830年9月8日 - 1914年3月25日)という詩人である。
 ミストラルを知ったのは梶原さんに教わったからで、「ノーベル文学賞受賞者ですよ。」と、おっしゃる。そのことがメイン情報ではなく、ぼくが、「国語」という中央統制的言語政策に対して強い不満を抱いていることから、フランスでは「国語」という日常語はなく「フランス語」と言う、ということから起こってきた「正しいフランス語」「美しいフランス語」とはどのようにして維持され変化していくのか、また地方に根付く言語いわゆる方言の現状はどうなっているのか、今後どのようになっていくのか、というつぶやきを梶原さんに発したところ、「例えばプロヴァンス地方にはプロヴァンス語というのがあり、3世代前までは読み書きができる人がいましたけれど、今ではいないと言ってもいいほどです。方言の消滅は歴史、文化の消滅であり、アイデンティティの喪失に繋がりますので、プロヴァンス語の保存運動が行われてきています。それに力があった人がフレデリックミストラルで、1904年度ノーベル賞受賞作品の『ミレイオ』は、プロヴァンス語と正規フランス語とで綴られています。」とお話しくださった。
 「ミレイオ(Mirèio)」はプロヴァンス語。フランス語では「ミレイユ」(Mireille)。「ミレイオ プロヴァンス地方の詩」という原題で『フレデリックミストラル著作集』(1949年)に収録されている。著作集(ペーパーバック版)は、梶原さんにご案内いただいたニースの古本市で入手した。アルルの書店で簡単なプロヴァンス語辞典を購入し、プロヴァンス語ページとフランス語ページとを見比べて読み始めてみた・・・・。
 さて、書架から引き出したこの2冊の『フレデリックミストラル著作集』の行き先はどこに定まるのだろうか。いいや、この2冊は、ぼくが「言語」文化・教育に関わる研究者である限り、文化継承・発展の一つのモデルとして手元に置いておくことになるだろう。ぼくのアイデンティティを喪失しないためにも。
 著作集には地域に伝わる伝承歌の採譜が付せられている。これもまた興味深いことだ。

採譜をした人の名がFr. SEGUINとある。かのセガンさんとは縁もゆかりもないと思うけれど、SEGUINとはすでに2001年に「会っていた」のだな、2003年ではなく。