記念日夕食会断念

 すさまじい風と夜雨予報により、結婚記念日食事会を断念。「また、近いうちに、食べに行きましょう。」となった。
 「いかだ師」少し進める。一つは文献一覧作成を手がけ始めたこと。二つはフランス語辞書により丹念に言葉と文章の意味を探る。
 ぼくは、次のように綴る。
「Ah! qu'la vie est charmante /quand on a des rèntes /quand on a des rentes
Ah! qu'la vie est charmante /quand on a des rent's /
quand on a des rentes.
 この歌を歌ういかだ師は、誰の生活を歌っているのだろうか。遊んでやっていける生活!いかだ師のそれ?そうではない。いかだ師が薪材を届けるパリに住む人びとの生活?それは正しい解答かもしれない。だがもう少し考えてみたい。薪材を消費することができた社会階層はどうであったか、ということを。
 この中で、des rèntes、des rentes、des rent's、des rentesとあるのは、おそらく韻を踏ませるためのスペル変形で、元単語はrenteだろう。「年金」の意味である。ぼくは来年から「年金」生活になるが、その「年金」と、この歌で言う「年金」とは大違い。歌は、国王から授与されるもの。ぼくの研究で親しいのは、「アヴェロンの野生児」では野生児=ヴィクトールが「年金」を与えられていることである。かつての日本語で言えば「恩給」なのだが・・・。
 社会的業績、名声等に応じて「年金」が支払われた。しかも終生である。まさに、年金生活者は「遊んで暮らせた」。「いかだ師」は年金などもらえない最下級の職人である。そのいかだ師が年金生活者(ブルジョアジー以上の身分のもの)のために、汗水垂らして薪材をパリに届ける…。
 そういう社会現象を揶揄した歌。「ああ、なんて素敵なんだ、遊んでやってけるなんて、遊んでやってけるなんて…」