初授業その他

 午後1は履修相談会。それほどいるまいと思ったけれど、けっこう相談を受けた。事前に配付している資料、ガイダンスでしゃべっている内容をまったくおさらいもしないで白紙状態で来る学生が少なくない。こういう学生は教職課程履修そのものをお引き取りいただいた方がいいと思う。ちらちらとその旨を語る。「自分で情報を整理し仕切れないことについて相談を受けるのは大歓迎ですけれど、私、何を履修したらいいんでしょう、というのに対しては、『私はあなたではないのでわかりません』としか答えられない、というのはお分かりですか?」初年度履修システムと初年度以降の履修システムの違いが飲み込めにのが多い。たぶん、「教職課程正式履修者」という日本語の意味するところが理解できないのだろう。ぼくは「学力を伴わない意欲だけでは教職課程履修を続けることが困難なので、いわば関門を設けています。それとて最低限度の関門だという理解を我が教職課程ではしています。」と説明した。
 午後2は、授業「道徳教育の研究」。西5ー202教室がほぼ一杯。200人は超えていただろう。これまでの授業スタイルとは異なることを伝える。序の序と言うところか。「道徳」を、普遍的な価値という枠組みで見る立場と、時代・社会によって変容するという枠組みで見る立場。自分と他者とをどう繋ぐかという問題であり、そのつなぎに道徳はどのように位置付くのかという問題。法が社会の総意によって変えることができる「国民主権」社会である我が国であるが、法があたかも絶対普遍であると捉える立場は、同時に「道徳」も絶対普遍である(べきだ)という立場に固執しているかのように思われる。さて、学校で教えることとされている「道徳」とはどういう内容と方法とを持っているのか、また学校道徳をめぐる今日的諸課題はどうなのか、を考えていきたい、と強調。「自分たちで社会の決まりを作り守り作り替えていく」という主体形成に関わる実践的教育がどれほど行われているか。「校則を変えたという経験を持っているもの」を尋ねたら5人ほどが挙手。その可能性はあるのだと教えられたものが10人ほどの挙手。
 宿題を出す。「神棚」「仏壇」「先祖写真」「団らん部屋」がそれぞれのご家庭にあるかどうかを調べてくること。自分自身のアイデンティティが「家族」(系属)とどう関係づけることができるか。
 授業終了後一人のお嬢さんが話しかけてきて、来年も再来年も先生からお教えいただきたいと思っていたのに、それができないなんて、残念です、自主ゼミはどうなのですか、と。自主ゼミは開かれるはずです、と答えておいた。
 午後3は履修相談会続き。