悲喜こもごも

 今日は授業が無く、履修相談2コマのみ。頭に来たこと。「希望の企業に就職できない場合の安全パイとして教師になるつもりなので、履修の仕方について教えて欲しい。」 こういう社会状況認識や適性認識の欠落した輩が教職課程の授業を履修する現実の姿を想像すると、虫酸が走る。
 「教師になることの方が企業に就職するより遙かに遙かに難しいことを知らないの?」「え、ほんとう?」「君のその情報の根拠は?」「お父さんとお母さんがそう言ってた。」「そうか。新聞などの客観的情報から仕入れた情報じゃないんだ。馬鹿だね。」「?」「いいか、まず、教員免許状を持っている=教師になれる、という等式は成立しないよ。公立の学校だとそれぞれの自治体が行う教員採用試験というのに合格しなければならない、倍率はその年や自治体によって異なるけれども、教員の定員数が決まっているから不足している人数分を採用する。ある県の高等学校社会科教員募集の事例を元に考えると、全県下で必要な教員数は5名。5名だよ。高等学校の社会科の免許を持っている人は全国で何万人、いやそれ以上いる。もしこの全員が受験するとしたら・・・単純な算数だね。全員が受験することはあり得ないけれど、それでも100人という数字はあり得ないことではない。さあ、何倍だ。おまけにだよ、各県ばらばらな日程で採用試験をするわけではない、数県が統一されて日程が決まっている。数ある企業を渡り歩いて面接を受け、試験を受ける回数より遙かに少ない回数となるね。受験機会さえ少ない、ということが言いたいんだけど。」「それから・・・」と言いかけて、むなしくなった。「君の今の心で教職を取るとしたら、まず、ぼくの授業で完全にはねられます。そうすると教員免許さえ取れません。我が教職課程は黙って座っていれば、あるいは寝ていても、あるいはサボっても、単位なんか簡単に取れる、という俗説は当てはめることはできません。先輩に聞いてごらん?」
 その他、切羽詰まった様子も伝わってくるが、いかんともしがたい履修ぶりに、諦めるよう説得するのに、かなり時間が掛かった、などなど。
 教育学科の「基礎演習」に顔を出す。賑やかで明るい1年生。大人数の中で埋もれている連中と比べると雲泥の差だ。
◎午後6時より1時間半、学習院大学新聞社の取材を受ける。「介護等体験について」