授業

 今日の午後は道徳教育の研究と履修相談会。
 授業はおおよそ60人強。数学科学生が数多い。見知った顔はちらほら。本当は全員教えているのだけれど、昨年度前期6回ほどだから、さすがに印象に残った学生しか頭には入っていなかった。
 授業は昨年度の事例紹介を導入とし、「道徳」をめぐる社会状況をマクラテーマとして開始。改憲論を含めて日本社会を根本的に問う動きがあるが、その本質は何なのか。主権者たる我々は、自分と他者との関係をどう取り結ぶべきかが、頭ごなしに操作されそうな感じを抱かざるを得ない状況にある。この動向のコアとなっているのは「普遍的道徳復活」論。
 でも、と、立ち止まりたい。お正月を家族で過ごされる方は?それはご自宅で?それともご自宅から離れて?このような問いをしてみると、「あれ?普遍の質って何だ?」となるわけですね。その点、日本社会は古来からーそれこそ「昔」から、ね―外来ものの衣だけをいただいて中身をすっかり入れ替える文化づくりが得意ですから、「正月」だって、お飾りをして(衣)、家族それぞれが(一緒にでも構いませんけれど)お出かけ(中身)というわけです。
 クリスマスなんて外来文化が我が国で行われているのは、その質はすっかり日本しかないものになってますものね。イヴにカレシ・カノジョと一緒に過ごすことが出来ないのは死んだの同じ、なんて名台詞を吐いた、我が研究室を明るく楽しく、そして学問的雰囲気に導いてくれた数学科のチエコちゃんというお嬢さんでしたな。
 関連的に発展させると、チエコちゃんは、アッシー、ミツグ、キープなどと言うボーイフレンドを影で侍らせていたようですが、この世代の若者モラルですね。先代から継承されずに独特に創り出すモラル、年寄りはしかめっ面をしますけれど。つまりね、「道徳」というものは、代々受け継がれるものであるとも言いますが、一方でその時代・社会の中で新たに生まれ消えていく(あるいは次代に継承されていく)ものでもあるわけです。生きている、というかな。このことを道徳教育を考えていく上で無視するわけにはいきませんね。云々
 受講態度は悪くはなかった。というより、しっかりと聞き耳を立ててくれていたし、共感的態度を見せてくれた。
 授業終了のベルが鳴ると同時に次のクラスの人たちがドドドッと入ってくる。こちらはまだ質問を受けていたり片付けたりしているにもかかわらず。これは昨年もきわめて不快なことであった。10分の休憩時間の10分を丸ごと奪い取るというこの態度。時間いっぱい授業するな、質問受けるな、という態度。頭の上の方にお住みになりしかし合格率がきわめて低い階層の人たち。来週はバトルになるな。
 思い起こしていたら疲れてきた。とりとめなく長くなりそうだった日記もちょうどいい具合にしめることが出来る。