誇り高き絶滅危惧品種なり

 昔懐かしい方々―といってもぼくの方から連絡を絶ってきた方々なのだが―と「再会」し、「昔」語り、「今」語り、「これから」語りを楽しんでいる。といってもFB上でだが。現実世界でお会いすることは、やはり心理的に困難。FB上ならどんな事態に陥っても「逃げる」ことが可能だし、今ある「自分」そのものは壊されることがない。だからといって、昔懐かしい方々がかつてぼくにとって攻撃的な態度をとった方々かと言えばまったくそうではないのだけれど。
 FBに暁から今夏の件でメールが来たこと、善とふたりで旅をすることになりそうだ、その予定は云々を書き込んだところ、多くの方々から好意的なコメントをいただいた。そのおひとり高垣忠一郎(現立命館大学教授)先生とのやりとりが刺激的だ。このぼくが「英雄」になった瞬間をフラッシュバックさせてくれている。それは本当の瞬間であって持続的にキャラクターとして染みこむことがなかったのだけれど―従って自分史(研究史を含む)の中でまったくと言っていいほど綴ることがなかったのだけれど―、今進めている「筏師」研究とリンクするように思われて仕方がない。
 FB上の会話を以下に:
高垣 忠一郎 川口さん。じじの心意気とても共感いたします。このじじが孫に伝授したい技は、燕返しのごとく山道でオニヤンマを取る術。仕掛けを「ホイラー」と投げあげて、ギンヤンマをとる技。もっとも少年の美しい姿だったと思います。だが、肝心のヤンマがいない。嘆かわしい。
川口 幸宏 糸の両端に薄紙でくるんだ小石をくくり付け、「ホーイ!」と投げると、ギンヤンマごくたまにはオニヤンマが、彼らのエサ(蚊など)かと狙って飛んでくる。そこへ糸が身体に巻き付き、ばさばさとトンボが落ちてくる・・。疑似餌猟法。夏から秋の夕方の空き地はトンボ釣りで賑わっていましたね。
高垣 忠一郎 そう。そう。そのとおり、この遊び文化を知っている人はいまや絶滅危惧種になりつつあるのではないでしょうか。
川口 幸宏 ばさばさと落下する地点に慌てて駆けつけ身体に絡みついた糸を、トンボの羽を痛めないように用心深く取り外す。獲物のトンボは両翼を揃え左指の間に挟んで持つ。そしてまた「ホーイ!」。少なくとも3尾は挟み持ったまま「猟」を続けます。英雄なんですね。虚弱で、小さくて、コミュニケーションを取ってもらえなかった私も、この瞬間だけは「英雄」になりました。
高垣 忠一郎 まったく似たような経験をお持ちですね。この話を「そうそう!」と話せる相手がいることをとってもうれしく思います。ぼくも「ヤンマとりの忠」と異名をとるほどの少年でした。夏の夕暮れに原っぱにボクが出て行くと、小さな子どもたちがギャラリーのように集まりました。そして、ボクのとったヤンマを彼らにあげました。オスだけですよ。メスは竿の先に糸で結びつけて、「ラッポーホエー〜ラッポーホエ〜!」
高垣 忠一郎 と呼びかけながら、振り回し、オスが寄ってくるのを捕まえるおとりにしました。馬鹿だねえオスは。ボクもだけど。
川口 幸宏 高垣先生。そうそう、捕まえたメストンボを竹や木枝に結びつけた紐先にくくり付けると、メスは空中を飛んでいる様をしますね。そのメスにオスが生物保存の本能で食らいつきます。交尾が始まる前に「タモ」で捕まえるのがせめてもの「なさけ」だったな。私は、その日捕まえたトンボを、帰宅する時に、すべて空中に放ちました。持って帰っても死なせてしまうだけですから。
川口 幸宏 高垣先生、私には「ギャラリー」は集まりませんでした。「日の暮れもいつもひとりのトンボ釣り」(中2の時の駄句)