疲れました

 今日は教育基礎、道徳教育の研究、そして自主ゼミ。聴講する学生の数が減らない。それが当たり前であるべきだという考え方が支配するようになったのだなとつくづく思い知らされる。学生指導のあり方について根本から考え直さなければならないということなのか。しかし、ぼくには後がない。従って今までの総決算として全力で行うのみ。学生にはその主旨で語った。「このクラスは日本の公教育を担う中学校教員養成を前提にしている。いわば職業訓練の一環でもある。自分は教師にならない、と言う人もいる、イヤ圧倒的だろうけれど、だからといって、この授業目的が教員養成からはずれていいという論理は成立しない。座って黙って人の話を聞いている-聞いているふりをしているだけで、あとはほんの少し教育実習やって免許状を手にし、すぐ教育現場に出て、対他コミュニケーションを専門的力量として取る…それが本当に、今の君たちの状況で可能なのだろうか−自分は匿名でいたい、他人は実名であることを望む、というような今の君たちが、本当に生徒の前に立って生徒に語りかけることができるだろうか、と問題提起。生徒だけではない、親、同僚その他多くの人びととは、間違いなく実名的関係性を持たなければならない、それが教師という仕事の本質なのだ。
 自主ゼミはガイダンス的なもの。4人が集まる。一人は社会人。後は学生。強者が揃った感じで逞しい。