コメント返し

 「道徳教育の研究」の授業後、学生から送られてくるオピニオンに対し、必ずコメント返しをするようにしている。そのコメントがどのように読まれているのか、傷つけていないか、送った瞬間に悩む。日常的に研究室で会話しているような学生ならば、成長要求としてのコメントを附すし、授業内だけでしかコミュニケーションを取ることがない学生に対しては、まだ授業は1/3程度の処までしか来ていないこともあり、生長要求というよりコミュニケーションを取ってくれたことへの謝辞やその勇気をたたえる賞賛のことばとなる。「道徳教育の研究A」は、今日を一応の締め切りとしている関係から、どんどんと送られてくる。そろそろ紙面レイアウトを考えても良い状態。
 昨日の「道徳教育の研究B」終了後、やや授業の方向性を見定めるのが困難な状態に陥り悩ましい状況で先ほどmailboxを開けたら、2名の学生から計3通、投書があった。二人ともぼくの授業の進め方に強く賛意を示してくれていて、この上ない喜びを覚えた、というより元気を貰った。だがそれは、大方の学生の「今後の授業の進め方への意見」とは違うわけで、どう整合性を付けていくか、しばらくは課題が残る。
大学院生W君から「木村文助で修士論文を書いたとのことですが、その後、如何にして、フランス史(現在はクラムシーの筏師でしょうか)にシフトしていったかというお話を、伺えれば幸いです。」という質問が(メールで)寄せられた。さて、困った。何が困ったかって?人様に説明できるような研究軌跡ではないし、という問題。しかし、ぼくの大学院修士論文で取り組んだ課題や方法は間違いなく今のぼくにつながっていることなのだ。以下のようにメールで書き送りました。
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 私が大学院で所属した研究室は「人文科教育」(東京教育大学大学院教育学研究科)という言語系教科教育を専攻するところでした。所属大学院生は、日本語文法教育、文学教育、論理教育(評論など)、外国語教育(英語、韓国語、留学生それぞれの国の母国語教育)など幅広い専門に拡散していました。これをひとりの教授とひとりの助教授、そして助手が束ねているという構成。私はまさしくできの悪い大学院生で、学部時代に形の上で進めていたペスタロッチの「言語教育」について研究をしたい旨を研究指導の場で宣言しますが、指導教授から「それは認められない。おまえにふさわしい課題は日本の戦前の今でいう作文教育に関することだ」と厳しい(今思うと愛に満ちた)ご指導をいただきました。当時、そのような研究をすることは完全に体制的な人間かそれとも完全に反体制的な人間かとみなされるという、アホみたいな学界状況があり、あまりきちんとした先行研究がないことを指導教授は嘆いておられたようでした。それで、アホがもっとアホになってもそれはいいことだ、と判断され、私に研究開拓を託されたのだと思います。この研究分野を「生活綴方」と言います。
 生活綴方に対しては、いわゆる民主主義陣営に属する教育学者たちが、戦後の民主主義教育運動のリーダーとなった人たちが一定のイデオロギーを添えて、戦前における社会変革のための教育運動であったと「定式化」し、それが学界でも支持されておりましたが、私はそれは「解釈」であって「史実ではない」のではないかと疑問に思い、史料発掘から研究を進めました。これといって方法論的な指導をいただく方もおらず、独学でありましたが、今の私の土台を形成してくれているように思います。かなり近年のエピソードですが、「近藤益雄研究」の援助を私に依頼された、私にとっての大先輩、教育学界の重鎮のお一人が、「近藤益雄の実践は民主的だった、なぜなら生活綴方を実践していたからだ」と言われました。私は「どうしてそう言えるのですか?」と訊ねましたが、「生活綴方は、自主的、民主的、民族的な、日本独自の教育遺産だからだ」とおっしゃいます。それで私は、植民地同化教育の方法として生活綴方が導入されていましたが、先生の論に従えば、植民地教育そのものが自主的、民主的、民族的であったといえますが、それではたしてよろしいのでしょうか。」と反論したところ、その大先生は、「先行する偉大な教育学者たちがすべてそう言っておられるのだ。君はそれに反抗するというのか。」と、きついお叱りをいただきました。もちろん私は、反抗するとかそういうことではなく、史実そのものをきちんと受け止めることが何よりも研究の基盤でなければならない、と申し上げた次第です。
 ところで、生活綴方という教育の営みは、「生活」という言葉に示されていますように、日常の「生活」が子どもにとっての大きな学習基盤、つまり人格形成の基盤となります。ですから、教師が「生活」をどのようにとらえるかによって、子どもへの教育的働きかけが変わってしまいます。得てして日本の教師は、近代学校の成り立ちから言ってもそうなのですが、学校は善、生活は不善ととらています。しかし、生活綴方は、善、不善、ではなく、「生活」における学習過程を重視し、それを学校教育に有用であるようにはかります。この「生活」への着目を、これまでの私の研究史の中のコア活動として、学問生活を送ってきました。歴史スパンで言えば、生活は決して固定されることなく変容しています。その変容はなぜ起こるのだろうか。人々はその変容に対してどのように対応し、新しい道(生活)を拓こうとしてきたのか、という問題意識に支えられている最終章が「筏師」研究です。
 以上、私はすべて独学で進めてきました。ですから、学校学力ではかられると、まさしくアホです。アホはアホなりに・・・という指導教授のお見通しのままに生きてきている、ということですね。
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オリエンテーション合宿一行、先ほど帰校。ご苦労様でした。