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 教育学や医学関係の博士論文の題材にもなってきたオネジム=エドゥアール・セガンという人物(知的障害教育の開拓者として知られている)の生育史にまつわる少々ねちこい話になります。
 「セガンは、その地域で、代々医者を務めた名家の生まれである。」というのがアメリカや我が国の定説。代々というのをいつ頃の時代を指すのか明記されていないので推測するところから生育史の追跡をはじめます。18世紀かな?19世紀かな?この頃「医師」には「包帯医者」(無免許医師)、「免許医」(医学校を修了して医師資格を持っている)、「医学博士」の3種類がいた、という知識をまったく別ルートの勉強で知っていた私は、「包帯医者は名家とは言えないよな」などと内言しながら、我が国ではほとんど検索されていない、フランスにおける最新のセガン研究の論文等を読むことになります。そうすると、セガンの生誕になった地(クラムシーという小さな町)に父親が医学博士として入植したことが資料を添えて綴られています。だとすれば「代々」というのは父親が生まれたところにおいてそうだった、ということなのかな、と思い、父親が生まれた地(クーランジュというところ)を調べなければなりません。
 それでその町に調査に入りました。人口1000人にも満たない町ですので、役場の窓口(戸籍係)で尋ねます。そうすると、18世紀、19世紀初めには、この町にセガン家が数軒あったけれど、医者を営んでいた家はなかった、木材商を営む人が町の三役を務めていたが、その人の子どもに医学博士がいたと聞いている、今はただ一人、セガン家の末裔がおられるが、連絡をしてみるのであって話を聞いてみるか、と親切を見せてくれました。
 当然お会いし、いろいろとお話を聞きたくなります。写真はそのお方。「私のご先祖様にそんなえらい人がいたんですか。私の爺様が木樵であったと聞いています。」
 「知的障害教育」という領域における先行研究からすれば小さな、どうでもいい史実誤認なのでしょうけれど、人様のライフヒストリーを語る(「ヒトはいかにして人となるか」という視点)となれば、やはり正鵠を期す必要があるなあ、と思った事柄でした。