「民衆と政治(政府)との距離感のある叙述を、ね。」

 昨日の姫さまとの会話の中で、僕の研究をどう結んでいくかがテーマとなった。「パリ・コミューンを本体に据えて筏師を第一章に。」という示唆をいただいたおかげで、胸のつかえが落ちた。「筏師研究はどうしても社会史に向かってしまう。教育学者が何故に社会史なのかの説明がいるだろう」とは出版社社長の弁。教育学の世界から遠ざかることを考え続けてきているが、やはり、世間様はそうはさせてくれないという現実。「肩書きがある限り教育学から逃げないで正面からぶつかって。」と姫さま。「パリ・コミューン研究、面白いと思うけどなぁ。」とも。「これまで書きためてあるパリ・コミューンに関わるのは300枚近くになると思います。それを本体にし、筏師を入り口にする、ということで行きましょうか。」(僕) かくして、今夏、パリ・コミューンに意識を大きくシフトし論文を整理することにした。
 FBに投書。
「ペール・ラッシェーズ墓地の外壁に沿って歩くことにした。外壁のまわりは道路に挟まれた小高い緑地帯となっており、そこは市民がそれぞれ憩うことができる空間と施設が整っている。長細い公園といえばいいだろうか。その公園内の壁にパリ・コミューン1871年)の彫像モニュメントが貼り込められている。大きさにして幅8m、高さ3mの石彫だから大作であるが、風雨にさらされくすんだ色になっているからだろうか、ひっそりとそこに存在しているという感がする。、ベルサイユ政府軍によってペル・ラシェーズ墓地にまで追いつめられ捕らえられたパリ・コミューンに参加する民衆が、その場で、無抵抗のままに銃殺処刑された瞬間をモチーフにしたものであった。当時の壁を擬した背景の石積みの壁には無数の弾痕まで彫り込まれ、仰け反り、今倒れんとする老若男女10数人の、さまざまな姿態が浮き彫りにされている。深閑とした木々に囲まれ、わずかな空間をその前に残すだけの記念碑から、それらの人々の叫びが自ずと聞こえてくるような気がする。」