「独房」に関して

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ハンセン病資料館」内の写真や模型資料、実物資料を見て回っている中で、一つの実物模型資料の前で足が止まってしまった。それは「独房」模型である。ただの「独房」ではない、入り口以外は全て壁、中は真っ暗なのである。
 ふと、フランスパリ近郊の、世界的に名高いビセートル病院史に関わる資料の一節を思い起こした。次のような記述である。
「かつてを想起させる名残を探し求める人にとって非常に興味深いビセートル救済院が、部分的に残されている。それは非常に悲劇的にまで有名な独房である。「黒い」独房と「白い」独房。1770 年、ルイ16 世に提出された、救護院の名による一通の陳情書で、マルセルベが次のように述べている。
『ビセートル城館には地下監獄がございます。そこは、死刑を宣告された後は共犯者を密告することでしか恩寵を受けることができないような、名だたる重罪人を閉じこめておくには、まことによくできております。監獄は、そこに幽閉された囚人たちに死を悔やませるような生活しか送ることができないように、工夫されているかのごとく思われます。完全な闇がこの滞在地を統治するように願ったのでありましょう。とは申しましても、そこは生きるのに必要な空気が入るようにされております。地面の下に縦に斜めの穴のあいた柱が設えてあり、導管で地下道に抜けていくよう、通気を保障するという考案がなされているのであります。この方法によって、光をまったく入れることなく外気に直接触れることができるのでございます。』
 国立古文書館に保管されているビセートルに関する一通の記録文書には、カルトゥシュ(弾薬廠)中尉であり、監獄に捕らえられた名だたるディシャテルが、30 年間の幽閉の後、1750 年7 月3 日に死亡したことが記されている。彼に対する死刑は密告によって減刑された。減刑は苦痛という最悪のものであった。1760 年11 月の日付のある記録には、疑問を呈し、『教会窃盗団の長クラビエなる人物は、彼と一緒にそこに送られ、まだ生きている』と記されている。」(『フランスの古い施療院ビセートル』1939年刊、訳文は川口による)
 「生きるも地獄、幽閉も地獄、そして死ぬのも地獄」とはこのことを言うのだろう。ハンセン病患者が置かれ続けた境遇と同じである。