口絵

 著書の編集が本格的に始められたとの情報。口絵をどうするか。旧パリと新パリとを舞台にするという意思表示として、それぞれのオリジナル地図を使うことにした。旧パリについてはこれまでいろいろな形で使ってきた地図を使用するつもりでいたが、ここに至って、パリ大改造に繋がる重要なこと故、それを示すようなオリジナル地図を使用することとした。仮に携帯で撮してみた。

 パリの足の下は空洞になっている。その空洞を利活用してきたことによって、パリは小さな巨大都市として息づいている。上下水道地図。大改造にあたって書かれたモノ。貴重な史料である。
<以下、FB に投書>
戦後、知的障害教育・福祉に生きた九州・長崎の近藤益雄先生は、戦前、子どもに生活性が現れる作文(綴り方)を書くよう指導していました。戦前の初等教育を担った人ならばあたり前の教育でした。子どもたちの作文には時代の社会を反映していて、実生活が貧しいことを書いたものが多くあります。貧困からの脱出は誰しもが願うことです。だけれども、貧困であることを嘆いたり、なんとかせねばと隣近所で話し合ったり、地主さんのところに行って小作料を少しまけて欲しいと願ったりすると、とたんに、「アカ」呼ばわりをされるようになります。「アカ」は事前に摘み取らねばならない、それが大日本帝国の「治安維持」の手っ取り早い方法です。それで・・・

「(警官が)何の用事もないのに、縁側に座ってタバコをふかして、なにやら話したりして、うすきみのわるい訪問のしかたが多くなりはじめまして・・」(近藤益雄先生の夫人えい子さんの証言)

近藤先生は「臣民教育」に心血を注いでいたのですけれど、このような日常性が襲ってきたため、強度なノイローゼにかかってしまいました。全国で見ると、先生の教育研究の仲間達、とりわけ文通のあった東北の教師達が次々と警察によって取り調べられ留置場に入れられるようになっていたから、今度は自分に火の粉が降ってくるのではないか、と恐れたのです。天下国家のため、子どものために全身全霊を尽くしてきたことが国家の「治安維持」に違反するなんて!

今来た道を繰り返すな!