また一つのラスト・ラン(FB投稿記事)

 大学に勤務するようになって39年。サバティカルで授業を免除された計2年間を除いて、「評価」活動を必ず行ってきている。私は基本的にはレポート主義なのだが、ここ10年ほどは、「試験」に切り替えている。
 さて、「試験」に伴うのは「監督」業務である。埼玉大学時代は「試験」をせずレポートだったので「監督」業務は経験が無い。この経験が次の勤務大学和歌山大学では通じないことに仰天した。他人様の授業科目の試験監督を務めなければならなかったからだ。やりにくいったらありゃしないと強く感じた2年間だった。そして転じてここ、学習院大学和歌山大学方式であることを知り、埼玉大学方式はまれな存在なのだろうかと思いもした。いや、オレなど信頼されていないから、監督業務を任せられなかったんでは無いか、と勘ぐりもした。
 今日はその監督業務。大学人として最後のお務めである。教室は300数十人定員であるが、実員は174名。一人の欠員も無い。こんなことは初めての経験。一カ所に留まらないように、との監督要領にあるとおり、ぼくは教室内をぐるぐる歩き回る。身分証明書写真と本人との異同検査を行う、しかし、列の中程の学生の真偽確認は困難である。退席不許可時間内に一人の学生が体調の不良を強く訴えてきたので、他の監督員に付き添って貰うことで、中座を許可。くだんの学生は10分ほどして、まだ青い顔をしてはいたが、戻ってきた。・・・・
 もう、この業務は、ぼくの残りの人生の中では無い。何か一つ、憑き物が落ちたような感じがする。その憑き物とは、「教師は厳格な管理者でなければならない」という、ぼく自身に課してきたテーゼである。