花束の便り

「大好きな川口先生
 まずは「御卒業」おめでとうございます。先生が自由を一つ手に入れられる一方で、目白で私がふらっと「先生、聞いて下さいよ〜!」と駆け込める大切なオアシスが一つ消えてしまう寂しさもあります。
 とても楽しかったです。そして得たものが今自分の子供達に伝わって、私も一緒に今一度楽しませて貰いながら、その尊さに日々感謝しています。
 二十年経った今も子供の目を通して実体験に近い「復習」が出来る何という幸せ!時代が変わってもささやかながらでもつなげていきますよ!実際、暦上先生が「御卒業」なさる今日の次の日である明日から下の子が「入学」ですから!
 ・・・と、ここまで書いておきながらも御身体について何一つ触れていないこの不義理…違うんです。「先生なら大丈夫」と、誠に勝手ながら確信しているのです。
 でも唯一の懸念は後期の終わりに約束をした「デート」です。先日、件のレストランに行ったのですが、その際に「今度私の大好きな人を連れて来ます」と高らかに宣言してしまったので益々約束を果たさないと恥をかいてしまいますから!その時は必ずお祝いしましょう。私もレストランは逃げないので、「そろそろアイツの顔を見てやってもいいや」と言う時にご連絡下さい。本当に、本当に楽しみにしています。
 どうしようもないことばかり書いてしまいましたが、真面目な話はお会いした時にとっておきます(・・・といいながら忘れてしまったらごめんなさい!)。
 感謝を込めて…
平成26年3月31日」
 郵便用の厚紙花束に記された<おたかさん>のメッセージ。そうか、20年も前になるのか。生活教育、フレネ教育、生活綴り方教育、ホール・ランゲージを意識した講義づくりを進めていたが、「アカ!」だとか「何か宗教クサイ!」とか、挙げ句の果ては「川口よ、死んで出直してくれ!」というような非難抗議が出され続け、胃が痛くなる毎週の講義時だったが、<おたかさん>は、「いろいろ言いたい人は言わせておかばいいのよ、私は先生の授業は心の底まで生の声として届くから、大好き。」と応援歌を送ってくれた。その意味で<おたかさん>の存在に救われたと言ってもいい。彼女は生粋の学習院子。それもまた、ぼくの内なる「学習院像」を再構成させてもくれた人である。何と言っても、紀州の山の上から東京のど真ん中に移ってほどない頃のことであったから。卒業してからも、予告なくぼくの研究室に遊びに来、2時間ほどの雑談でお互いに、「今」の自分をまとめた。お子さんが小学校入学にあたって、「ぼくの研究の実践的モデルは、東京の私立和光小学校とか桐朋小学校だから、よかったら資料を取り寄せ、あなたの目と感性で確かめて下さいな。」と参考意見を提示した。和光の説明会に行ってきたと、生き生きと報告してくれた日の<おたかさん>の興奮ぶり、感激ぶりの口調を今でも忘れることが出来ない。この春から、ふたりのお子さんを和光に通わせることとなった。
 スペイン語、英語のスペシャリストであるから、語学ならぬ語楽を教わりたいな。