近辺歴史散歩

 目覚めて、これからすべて自分で、何々をしなければ自分であることの証は立たない、という人生段階に突入して、こりゃあいいわ〜、と喜んだのはわずか2週間前。身体の自由が利かないという「重み」を痛感するようになり始めて、こりゃあつらいわ〜、と、身体だけじゃなく心も痺れはじめた。さて、何をどうすりゃいいのだ…?ちょっとぼやきを。
 これを読まれたYさんという、ぼくの大学の同窓生が行動予定表を建てたらどうかというアドバイスをくださった。どんな些細な事柄でもいいからそれをメモし行動する、と。それに対するぼくの返信。「ありがとうございます。<今日の私>は「邪魔にならない存在」という自画像しか浮かんでこないので、「行動予定」というアクティブ性は思いもよりません。読書も、じつは、まったく集中できない(視神経の問題かも)ので5分と持ちませんし、買い物も店に行くまでがつらいといった方がいい状態です。「歩くしか能のない」生き方をしてきた人間が「歩く」ことを基本的に失った状態で、さて、どうするの?ということです。まあ、こんな時もあるわな、という言葉が出始めていますので、そのうち、先を見るようになると思いたいです。」
 まあ、深刻な人生論は棚に上げて、さっと思いつく朝の散歩へ。脚の訓練と「保護者」たちの健康回復祈願を兼ねて。今日の行き先は昨日行きそびれた刑場跡、それから稲荷神社、そして我が家へ。今谷町会をぐるりと一周することになる。
 
 自宅から今谷南子供広場を抜け昔からある材木資材置き場の脇道に入り…と勝手知ったる古い町会内を通って住宅内にぽつねんとある墓地に到着。そこの一角が「今谷刑場跡」。教育委員会の史跡指定基と処刑の跡に据えられた「お地蔵さん」とをカメラに収める。案内には次のようにあった。
「この刑場は、江戸末期から明治初期、おそらく明治十二年一月四日の梟首刑(さらしくびけい)廃止の布告までであろうか、罪人の首を切ったといわれていますが、現在はほとんど跡形もなく、わずかに山林として一部が残っているだけであります。古老の話によると、明治の初期に近くに住む者で強盗を働いた男がとらわれ、ここで打ち首の刑に処せられたと言われています。昭和46年12月に、現在の場所へ石碑を建立しました。昭和41年4月1日に柏市指定文化財になりました。」
 その山林とて今はなく、狭い墓地と密集する住宅地となっている。「お地蔵さん」の隣には「首塚や切り倒されし竹煮草」の句碑がある。この句の作者名を記録し損ねたので、次回に取っておくことにした。
 その後は昨日とは逆順の道となる。通勤・通学の時間帯と重なった。本当に忙しい光景。今日は「徘徊老人」と間違えられないようなブレザー姿。しかし、追い越し、すれ違いの自転車の怖いこと怖いこと。若い人の運動神経判断で迫って来、避け、ブレーキをかけるという運転ぶりに何度冷や汗をかかされたことか。だけれども、今後街に出るとすればこれらのことを承知していかねばならぬと思う。
 
 今谷上町稲荷神社。祭神が「稲倉魂命(うがのみたまのみこと)」であることを確認。境内の小さな二つの祠に頭を下げ、本社で「保護者」の健康回復を祈念し、帰路についた。境内では藤の花房が色づき始めていた。
 7時15分出発。8時30分帰宅。4500歩。