豊住野馬土手探索〜迷爺の巻

 午前9時30分出発午前11時30分帰宅 6900歩

 経路:自宅→白山神社お詣り→豊住1丁目→常盤台→永楽台→豊住1丁目→自宅 太字部分が豊住野馬土手を取り囲んでいる。後でわかったこと。東武線が土手の端を走っているので、踏切があるが、その近くにこんな標識。野馬土手跡だと知っていなかった時には,このあたりに乗馬場があるのかしら、それにしてもなあ、と思っていたのだが、地域行政の「しゃれ」だったんだな。なかなかいいしゃれではあります。
土手跡の周囲に沿ってひたすら歩いた。史跡だと示す標識は見当たらず、ある立派なお宅が土手に食い込んで建てられているのを見ると、このMというお宅の私有地なのだろうか。土手にはシュロの木が生えていたり、竹藪になったりと、うっそうとしていて、中をうかがい知ることができなかった。かといって、下手に枝払い、下刈りなどの手入れをすれば、たちまちのうちに壊されてしまうのだろう。周辺の住宅街の人の中には、こうやってちゃんと「乗っ取り」を謀っている者もいるのだから。


 どんどん開発が進み、農地のノも無くなったこの地域で、こうした歴史遺跡が残されていることそのものが、奇跡のようにさえ思えてくる。炎天下、さまよい歩きながら、さてぼくが歩いているのは、土手の内なのか外なのか、遙か昔の江戸時代中期の広大な野原で悠然と草を食んでいる軍馬の群れを空想した。そしてその軍馬の命を狙う凶暴な生き物たち―ニホンオオカミなど―、そして馬の命を守り育てる下級役人や無償奉仕させられていた地域の農民たちの「息づかい」はどのようなものであったのか、との思いを馳せた。

 残された土手の先端はこのようになっている。
 ☆沈思黙考につづく